2017年12月4日月曜日

引っ越し騒動~青年海外協力隊の住宅事情

引っ越しをした。残りは4カ月弱だ、もっと早く引っ越しをしとくべきで、一体今まで2年間の苦労は何だったのだろうと思う。

登場(予定の)人物をイラストにしてみた
が、カウンターパートとファットマダムは出てこない


 今でも覚えている。
ガーナに到着時のオリエンテーションで、ホームステイ先と赴任後の住居の写真が渡された。「ワ~!誰々の家、良いな~」など盛り上がる周囲を尻目に絶望的な気分だった。
ステイ先の家族はやさしく楽しかったが、家にトイレがないなど大変なことも多かった。
その経験を以前はこう記している
少し読み返すと、素直で、青臭く、今じゃ汚れちまったなあ

巨大なスピーカーの裏にあるのがホームステイ先
スピーカーからは一晩中お腹に響く轟音が流れ、眠れなかった


単身で生活する家はトイレとシャワーがあった。恵まれていると感じたが、あのホームステイを味わえば、大抵の所であれば良いと思うだろう。それが狙いだった…とは邪推だろうか。
ステイ先のバスルーム
シャワーはなく手前のバケツで流す


水の有無は地域差が大きい、ぼくの任地は町には水道は引かれているが、井戸まで水を汲みに行く家も多い。生活用水は井戸か雨、水が出ない蛇口、水洗でないトイレ、川で洗濯している隊員も見ているのでそれに比べれば狭いなど贅沢な悩みかもしれない。そこまで過酷な環境なら後日談として語ることもできそうだが、ぼくの家は全てが中途半端だった。

専有面積は16.5㎡と10畳程度、バストイレを除くと13㎡、8畳程度と日本でも狭いと感じるサイズだが、ダブルベッドと立派な机が鎮座し狭さに拍車がかかっていた。これより狭い家の隊員はいるのだろうか。
トイレにドアがなく、台所もなく料理は部屋の中、洗いものは風呂場だった。ひとり狭い部屋の中で料理に奮闘する中年男性はの姿は哀れで痛々しく映ったことだろう。


旧居の間取と大まかな家具の配置をCADがなかったのでwordで描いてみた
赤いのは問題と思われる場所
CADもwordもそれなりの検定に合格しているのだが…
2018年のテーマは説得力



来る前は、安全性などの面からその地域なりに良い住まいが提供されるのだろうとの思いはあった。
高床のテラスを備えたバンガローやコテージで、夜は野生動物の遠吠えが聞こえ、満天の星を眺めながらウイスキーをグビリ。それは期待を越えた夢想だった。本当にそんな隊員が存在するかはわからない。


ガーナの住居は水シャワーもしくはバケツシャワー、洗濯機、エアコンなしがデフォルトで、新居もそうだが、一般的に並みかやや上の環境が手に入ったことには満足している。元々が酷かったので快適さの垣根が低いのもあるが。
現地の水準での生活は大切だが、無意味にレベルの低い住居をあてがわれ、苦労を強要られていた気がする。


前の家と比べると倍以上の広さ
新居の間取りを描いてもは普通でつまらなかった
特筆はシンクを自腹でつけたことにあるのが、主婦の感覚


つげ義春の漫画で「便所を改造した1畳間に押し込められ、そこで悶々とした生活を送り、そこで自身もうじ虫のように化した」といった記述がある。
正にそれだった。部屋も荒れていた。大家には部屋に痰を吐かれた、外壁ではあるがおしっこをかけられたこともあるので驚かなかった。

大家がアブノーマルエキセントリックな考えと行動の持ち主なのは早々に察した。職場でも彼はいわくつきで評判だったようだ。それを知っていたはずなのに、なぜトンデモ大家の事故物件を選んだのだろうか。
大家は日本で働いた経験があり、若干の日本語を話す。それがメリットになると思われたのかもしれないが、旅先の「現地で日本語を話す人物は相手にするな」の鉄則が皮肉な位に真実味を帯びた。

カーテンをかける木の棒を持って来てしまったので返せとの要件で、新居にも来た。誰かに場所を訪ねて探したのだろうが「シャイニング」のジャックニコルソンを髣髴とさせる狂気を感じた。

大家は日本人女性と結婚したがっているが、例えば別れた恋人の家に来て貸したCDやお金を返せと催促しに来るようなストーカーまがいの行為とケチを改めなければ、どこの国の女性も射止めることはできないだろう。

おかしい人はその異常さに気づいていない、気づいているならばそれを直すからだ。気づいていたり指摘されても直さないのであれば、もっとおかしい。ぼくは他の人にはどのような姿で映っているのだろうかと考えることはある…無論多少は気づいているが…


万時がスムーズに運んだとは言い難いが、家を探し、諸処の手配をしてくれたカウンターパートと、この時期にもかかわらず引っ越しを認め、対応してくれた事務所の方に感謝している。

2017年10月23日月曜日

ガーナのクレージーマン

ガーナでは長距離バスの車内で牧師(clergyman)の説教に遭遇する。
それは布教活動か、移動で教会に行けない人のためのミサだと思っていた。
確かに、牧師の話に聞き入り、お祈りを唱える姿も散見する。
しかし、キリスト教徒でない、体調が悪い、などといった理由で歓迎しない人もいるだろう。教会に行く行かないは個人の自由だが、この場では選択の余地がない。筆者以外にも乗客はそれぞれ思うところがあるのではないか。

ミサはこのような形で行われます。マイクも使ってもうご機嫌。
※写真と本文は関係ありません


ガーナ国内でバスを何度も利用している日本人男性ヒロ氏はこう話してくれた

一連の流れは大体こうなっています。発車と同時に牧師風の男性が話し始めます。大声で、時にはマイクを使用し、聖書を読んで解説をします。とにかくうるさいので、「早く終わってくれ…」と思います。
30分ほどたって一通りの話が終わり「静かになった…」と思うと、鞄の中なら軟膏や錠剤を取り出し、説明を始めます。
聖書で薬草について触れている項を持ち出しているのでしょう。実際、聖書は医学書が一般に出回っていなかったころ、民間療法や健康食品ガイドのような役目も担っていましたからね。体にいい、病気が治る~などとも言っているのでしょう。その薬らしきものを乗客に売ろうとします。時々、本物の草もちらつかせ、興味を持った人に匂いを嗅がせたりしますが、結構な人がそれを買っていることに驚きます、サクラなのではと疑ってしまいます。
売れ行きが悪いと粘ります。

この方も牧師です
※写真と本文は関係ありません


~もう買うまで帰らないぞ。警察でも何処でも行ってくれ、オレはムショ帰りだから怖くないぞ。これは万病に効くんだ、医者も匙を投げた不治の病があっという間に治癒したんだよ。寝たきりだったおばあちゃんも今じゃ元気に畑仕事をしているよ。それに何てったって神のご加護が付いているんだ、飲めばたちまち異性にモテまくり、金運アップ、仕事運が上昇。※効果には個人差があります。本当は1つ20セディのところを今日は10セディでどうだ。3つで20セディだ。これ仕入れて、人に売れば2セディのマージンが入ってあなたも大金持ち、会員を増やせばあなたも特別会員。今日は特別に良く落ちる洗剤もセット、あなたの家と汚れと罪も綺麗に綺麗サッパリ。実は昨日の晩、教会が火事で燃えちゃったんだ、命からがら逃げだしたけど、今じゃこの身一つ、助けるつもりでこれを買っておくんなせえ。そこのあなた、後ろに悪い霊が取りついているよ、この薬を飲んで、教会代々伝わるこの壺を買えばあっという間に悪霊払いができるよ~

墓地にあった天使の像

と言った感じでまくし立てます。もはや牧師といった聖職者でなく売人にしか見えません。その間には歌も挟むのですが。雄たけび、絶叫、ノイズです。この時点で1時間近く経っています。もうバスジャックされた心境です。この苦痛から逃れられる位なら、買うから、入信するから、終わりにしてくれ…と思う時があります、マインドコントロールされている気分です。
でもこれ日本じゃ違法行為なんじゃないのかって、不安商法、霊感商法、押し売り、マルチ、キャッチセールス、全部入りの悪徳商法ですよね。
だけど、ガーナでは公共の場所であっても宗教を盾にとれば容認されるのでしょう。ぼくはこのやり方を活動に使うことはできないかと考えました。
聖書を読んで食べ物や飲み物の記述、健康について触れている箇所をチェックして、ワークショップで引用句を使いました。
乳と蜂蜜は身体に良いとありますので寝る前に飲んでいます。お酒・・・ブドウ酒はたしなみます、愉快に飲むことは良いとされていますし、水よりも雑菌が入りづらいですからね。
近い将来、ガーナのバスに日本人の自称牧師が乗ってきて、健康食品のセールスをする、という噂が出たら、それはきっとぼくだと思ってください。

助けてください

バス内で宗教を騙った営業を行うには、バス会社に事前に交渉するのか、ドライバーに許可を得ればよいのか、それともガイドのようにセットなのか筆者は知る由もない。だが、物売りのように何人もいることはないので、何らかの秩序やルールがあるのだろう。

ただ、アメリカのあるサイトは一言でこう評している。
nuisance(迷惑行為)だと。

2017年10月9日月曜日

論より証拠のワークショップ

同期の隊員が身辺整理やあいさつ回りと活動を締めくくる中、ぼくはワークショップの準備や実行に終われ多忙な日々を送っていた。

ワークショップ自体は随分前から計画していた。
当初は、生産者がココナッツオイルについての説明、栄養士による健康上のメリット、調理実習とレシピ紹介の予定だった。
配属先が主体となり保健局と生産者、農家などを巻き込むはずだったが全く進展せず、開催をあきらめていた。

カカオの実を天日干し

そんな折、カカオ農家を訪問する機会があり、そこでインスパイアされたものがあった。
近所でココアパウダーが廉価で売っており、ココナッツオイルと混ぜてチョコレートができることを知った。
懇意にしているココナッツオイル生産者にチョコレート作りのワークショップを提案すると、とんとん拍子で話が進んだ。

ガーナ人の味覚に合わせるため試作と味見を繰り返し感想を尋ねた。
打ち合わせで何度も生産者のもとに通い、調理のデモンストレーションを披露し好感触を得た。
資料作り、ファシリテーター、調理と多くを担当したが、自分の思った形で進められた。

デモンストレーション兼試食会の様子
いい大人ががっついて~

開催を2回とし、参加者は近隣住民で合計25人程度と見込んだ。大規模なものを1回よりも小規模でも繰り返した方が、参加者も都合を合わせやすく、口コミ等の波及効果も大きいと云われる。第二弾はブラッシュアップしたものを提供できるとも考えた。

当日は驚いたことに30分前には多くの人が集まっており、予定の15分位前にはスタートできた。

生産者からの説明

まず、趣旨と流れについて説明、材料の紹介。
完全ローカルメイドのチョコレートを目指したが、惜しむらくは、材料の練乳が缶入りの工業製品であること、近隣でココアパウダーの加工をしている場所を見つけられなかったことだ。

湯せんしたココナッツオイルに、カカオパウダー、蜂蜜、練乳を入れて混ぜる

しずかに混ぜる

その後、調理実習と試食と続いた。チョコレートは冷蔵庫で冷やし固めるのに1時間ほどかかるので、料理番組のように事前に仕込んだものを用意した。その日作ったクリーム状のチョコレートはスプレッドよろしくパンに塗って提供した。

冷やし固める前に、柔らかい状態でパンに塗って食べる
いじめになるので顔に塗ってはいけない

ワークショップを開催しようとすると、交通費の負担、お菓子やジュースの配布で、純粋な経費と同等のコストが必要になる。
2回目の開催時、生産者の方から、リフレッシュメント(参加者に配られる飲み物や軽食)なしでやると言ってくれた。

さあお食べ
顔には塗らないように

役所主体の内容で計画を練っていた頃、リフレッシュメントを出すならばココナッツオイルやパウダーを使ったクッキーなどにするべきだと主張したが、いまいちピンと来ないようだった。開催と体面を重んじ、結果は気にしないのだろう。


冷やすとこのように固まる、食感は生チョコに近い

合計41人と予定を上回る参加者を迎えることができ、参加者の反応も上々だったが、2回目のワークショップ前日夜から停電が続き、作りおいたチョコレートが溶けたのが残念だった。
また、健康上の効能を謳っても病名など難しく、参加者の大半は理解していないようで、イラストなどを用いればわかりやすくなると思う。

当日配布したレシピ

市販品より安く作れ、添加物が少なく栄養価の高いものになると訴えても現地の人にとっては気軽に手を出せるものではない。実際に作ったりココナッツオイルの売上に反映されるより、ぼくの活動に対して人が興味を持ってもらえることを期待した。
ココナッツオイルの生産者は、次は(ココナッツオイルを原料とした)ヘアーオイルやコスメティック等のワークショップをやりたいと話した。この意見はワークショップへの手ごたえであり、お互い今後のモチベーションにつながるはずだ。

会場の準備や、頼んでいた品なども卒なくそろえてもらい、参加者にも手伝ってもらったおかげでスムーズに進行できた。

お湯を沸かすのも準備

活動の形を残すというより、ガーナ人の考えや行動を見直し、残された期間を地元の人と同じ目線で活動する意欲と自信となった。
今回の件で関わったすべての方に感謝している。

この頃は市場で売っているモノ、食材などを再発掘し、お店の人や市井の人たちと話す機会も増え日々の生活も楽しめるようになった。
そして今は任地が好きになっている。ガーナに対しては…答えを控えたいが、情に近い想いは持っている。
あと5カ月どう気持ちの変化があるか、それも一興だ。

2017年7月17日月曜日

現代の黙示録

町の中心から外れて人の往来もほとんどない元配属先の周辺に、その日は朝から多くの人たちが集まっていた。
催し物か集会かがあるのは察知できたが、同僚に尋ねると犠牲祭のようなものが行われるようだった。
確かに少し離れた場所には一頭の牛がつながれており、生贄になるであろうかわいい子牛は悲しそうな目でぼくを見ていた。
儀式は配属先とも既知の人たちとも全く関係がなかったが、興味があったので見学させてもらうことにした。

会場の設置といった準備は意外にも手際よく進められ、祈りから始まり踊りや歌、御神酒と呼ぶのが適切なのか、強力なアルコールを口に含んだりなどの前戯が行われる中、徐々に儀式めいたものを帯びるようになっていった。

ガーナ 女性 踊り ダンス Ghana lady dance
炎天下の中踊る女性、まだ序曲に過ぎない
最初の生贄は鶏だった。唐辛子を漬け込んだアルコールに鶏の頭を漬けて、動けなくなったところで首を刃物で切り、地面に投げ捨てるような荒っぽいものだったが、鶏は抵抗する間もなく絶命した。
ガーナ 生贄 犠牲 鶏 Ghana sacrifice
鶏は首筋を切られると放り投げられる

ガーナ 生贄 犠牲 鶏 Ghana sacrifice
絶命した鶏
それが終わると牛の屠殺となった。
ガーナ 生贄 犠牲  cow 牛 Ghana sacrifice
牛は押さえつけられるでなく、足の自由を奪われるなか殺される
鶏の時とは打って変わり、殺すまでの過程も幾分大掛かりだった。数人の男が牛の首や脚をつないでいるロープを引っ張り、それが余計に牛の興奮を煽った。女性陣はカウベルのような楽器を叩きながら歌っていた。その音楽の盛り上がりが最高潮に達し、鉈を一振りし暴れていた牛の首がはねられた。それはまさに映画「地獄の黙示録」のクライマックスそのもので、さすがにぼくがツルッパゲの大佐の首を落とそうという気にはならなかったが一言“Horror…”とつぶやいたかもしれない。
ガーナ 儀式 歌 Ghana  ritual song
音楽を奏で歌を歌う女性陣の興奮もMAXに達する

牛は絶命の瞬間、大きな音を発するという。それは断末魔の叫びなどではなく体内に溜まった空気が外に出て鳴き声のような音になる。というのを何かで読んだことがあったがその通りであった。

ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow
牛の首は思いのほか柔らかくあっけなく切断される。ぼくの中ではDoorsのThe Endがリフレインしていた。
牛はすぐさま、解体された。それも男たちの仕事だった。知る限りガーナでは動物の革をなめして使用する文化はなく、表面の毛を焼いた後は、革も一緒に食用にされる。
ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow
彼の最期の言葉もHorrorだったはずだ
意外なことに、草が真っ黒に染まるほどの血が流れ、腸からは大量の糞が出ているにもかかわらず、全く不快な臭いを感じなかった。それもそのはずで、牛は完全な菜食主義で青い草しか食べないのだから、血液も綺麗であるし糞も臭わないのだろう。糞は綺麗な緑色をしていた。むしろ痛飲した次の日のぼくのトイレのにおいの方がクサいだろう。ビールを呑んで太らせるという和牛の血や糞はそれなりに臭いのかも知れないが、ぼくのうんちの方がクサいし血もドロドロなはずだ。
ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow 解体 dissection
胃や腸も中身を出し食用にされる

牛は肉牛というよりはホルスタインのかなり小型でやせ細ったものだったので食用にする部分は少なかったが、女性たちの手によってその場で芋煮のように大鍋で調理された。軽く下茹でをして、血などを取り除いた後はトマトペーストと固形スープのもとで煮込まれた。その場で食べない分は切り分けられ参列者に振る舞われた。ぼくも要るかと尋ねられたが、めったに牛肉を口にする機会がない地元の人の分け前を奪ってしまう気がして初めは遠慮していた。
ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow 解体 dissection
驚くほど、肉の部分は少ない、ただ一般的にこの骨の周りは美味とされる部位

しかしその日は暑かった。持ってきた水は空になっていた。近くに飲み物を売っているお店はなく喉が渇いていたので、帰ったらビールを呑もうという気になっていた。そうすると牛肉の存在が気になってきた。ぼくも地元では牛肉はもとより肉類全般が高い上に美味しくないので、ほとんど食べない。だがその時は、牛肉をせしめてそれを日本流に煮込んでビールと合わせる図式が成り立っていた。非常に申し訳ない気持ちで、未調理の牛肉を頂戴し、非常に申し訳ない気持ちで場を後にした、しかも儀式の続く中の途中退場であったから余計にである。
ガーナ 儀式  Ghana  ritual sacrifice 牛 cow 解体 dissection
今回の儀式の司祭役の女性によって肉が分配される

頂いた牛肉は、圧力鍋パワーでしぐれ煮にした。あまりのおいしさにもっと分けてもらえばよかったと欲が出た。
ガーナ cooking ghana 料理
贓物も肉も革も一緒に煮込まれる、正直硬くて食べられたものではない

それにしてもあの儀式は一体、何に対しての犠牲で何に基づいたものなのだろう。ぼくの住んでいる地域住民の多くはキリスト教徒とイスラム教徒だ。しかし、あの儀式はその何れにも属さず、もっと原始的なものに所以を持つはずだ。
だからこそ、男性が狩りを行い、女性がそれを待つプリミーティブな姿がそこにあり、人が本能的なレベルで血に飢えた獣であった名残とも言えると思う。そしてそこに、キリスト教やイスラム教という外部の宗教を受け入れ信仰し、同時に西洋の文化を迎合に近い形で容認せざるを得なかった歴史と現状がありながら、譲ることのできないアフリカ人としてガーナ人としての魂があることも見せられた気がしたのだ。

ガーナ 女性 踊り ダンス Ghana lady dance
司祭は何度も着替え何度も歌い踊るのだった



2017年4月2日日曜日

活動報告書をめぐる因果

青年海外協力隊員の実際の活動を知る資料の一つに活動報告書がある。
ぼくは前任者の報告書を任地に持参し、穴が空くほど読んで、破れた。
残された活動を継続し、自分のやりたいことを加える。当時はやる気と行動力が伴えば何でもできると高をくくっていた。

蓋を開ければ、しばらくは様子見…単車が来たら…の言葉のもと1年間干された。そもそも仕事の絶対量が少なく、役不足だった。要請とのミスマッチは想定していたが、酷かった。
ghana workshop soap making lady work ガーナ ワークショップ 石鹸 女性 
石鹸づくりの講習会。仕事をしている姿は絵になるが、ガーナの女性は前屈運動並みに腰を曲げて作業をするので写真が撮りづらい
青年海外協力隊はビジネスでないので、ぼくは成功の是非に重きを置いていない。失敗続きの中、もしうまく行くことがあれば、諸方にとって御の字と思っている。一番嫌なのは何も行動を起こせないことだった。
何度か調整員に相談し、配属先に活動の提案と計画書の提出をしたが変わらなかった。配属先自体に仕事のない日が増え、とりまく状況は悪化の一路をたどっているのは明白だった。
匙を投げた。郡役所内の面識がある部署に自分をねじ込み、そこで新たに活動することにした。
地元の小零細企業などの支援をしており、元々の配属先とも無関係ではなかった。主催するワークショップに同行しながら、自らのアイデアを盛り込み、企画、開催する側に回る。残された期間でそれができれば上等と思った。
ghana workshop bead accessory making lady work ガーナ ワークショップ ビーズ アクセサリー 女性 仕事
ビーズのアクセサリー作り。個人によって熟達度、作業のスピードが違う。ぼくは手先はまあ不器用な方ではないが、細かいものが見づらくなる人体の不思議な現象に悩まされ始めているので、目がつぶれそうになるだろう。
だが、従来のワークショップはありふれた内容で、結果につながっているとは思えなかった。
年末年始にガーナ北部へ旅行に出た際、シアバター、織物や衣類、籠バッグいった特産品に感銘を受け、任地でも地場産業の確立につながることがしたくなった。
可能性の見いだせる分野にテコ入れし、それをモデルケースとし他の産業ならびに地域全体に普及させる。簡単に行くとは思わなかったが、やってみる価値はあった。
同僚に相談し、ココナッツオイルが地域の特色も打ち出せることから、その生産性と売り上げの向上を目指し活動を開始した。
前後してJICAの調整員と新旧の配属先を交えた面談が行われた。籍はそのままにし、両所で並行して活動する名目で、実質的に異動が承認された。
ghana workshop bead accessory making lady work ガーナ ワークショップ ビーズ アクセサリー 女性 仕事
出来上がりサンプル模型の出来上がりサンプル、カメラの撮影サンプルなど、サンプルほどあてにならないものはない。小さい女の子が喜びそうな気のせいだろうか。
担当の調整員とは日ごろから連絡を取っており、配属先がほぼ機能停止しているので別の機関に出入りしていることは伝えていた。
それ故の面談と思っていたが、活動報告書が立場ある方の眼に入り、身を案じてくれたことも大だった。
報告書など形式上のものと割り切っていたが、充実した活動を取り繕う気にはならなかった。目下の環境に対する不満や意見を述べたものの、愚痴っぽいかなとも思った。だが、意外なところで読んでくれている人がいて、活動にも影響するのだから言いたいことは言ってみるものだ。
ghana coconut oil lady work ガーナ  女性 仕事 ココナッツオイル
ココナッツの殻と工場で働く女性

元の配属先とは縁が切れる気がしたが、先方も懸念したのだろう、翌日、急きょ会議が催された。議題の一つは受け入れ研修生用の授業の開催で、担当を割り当てられた。それは1年前から提案し続けたが、諦めたものだった。他人を行動に駆り立てるためには、自ら思い切った行動が必要なのだろう。
ghana coconut  oil work ガーナ 男性 仕事 ココナッツオイル
なかなか凶悪なツラ構えで物騒な雰囲気充分であるが、ココナッツを圧縮してオイルを絞っているだけだ。
髄一の暇隊員を自称していたが、立場は一変した。日本にいる時は、暇が好きだった。日本の忙しいは限界を越えているが、ガーナにおいては何もないよりは多忙な位が丁度良い。
この時期になって活動に手ごたえを感じるようになったのは、ぼくが発したサインに応じてくれた人がいたおかげだ。
ghana coconut oil lady work ガーナ  女性 仕事 ココナッツオイル
バージンオイルを精製後の残りを煮詰めて、廉価なオイルを取り出す作業
少し前のぼくもそうだったように、多くの人が向けどころのない不満や憤りを感じていて、世の中はそのような届かない声であふれている。

そして、たとえ何の力になれなくても、そんな声に耳を傾けられればと思う。

2017年3月8日水曜日

青年海外協力隊の沈没船

昨年の12月から1カ月以上、首都に退避していた。大統領選挙における混乱を避ける名目だったが、選挙と年末が重なり、活動が停滞する中で悶々とするより、任地を離れて、リフレッシュしたい目的も大きかった。その間、協力隊員専用のドミトリーに寝泊まりした。

聖なるマリアよ


これまでの旅においてはドミトリーを好んで利用はしなかった。見ず知らずの人と、寝室を共にすること、持ち物や付き合いで気を使うのが煩わしかった。醸し出されるヒッピー臭や妙な上下関係と連帯感にも馴染みたくなかった。
ただ、今のぼくは、ガーナに来たばかりの隊員に対してであれば、かつて感じた拒否反応を与えるに十分な存在だと思うのだ。

ガーナ 看板 ghana signboard
看板の女性のような人はガーナでは見かけない


1月も半ば近くなると、選挙に関わる動きも終わり、仕事が元に戻る時期が来た。隊員も一人一人と任地に戻った。一方でぼくは、そこに居座り続け、なかなか腰が上がらなかった。何をするでもなく、ダラダラと時間を浪費する。いつまでも留まるわけにいかないとわかっていながら、天気が悪い、体調がすぐれないと理由を付けて出発を先延ばしにする。それを旅行者の世界では「沈没」と呼ばれる。


父なるヨセフよ

ガーナに来て以来、しばらく日本への想いが強かった、モノから解放されるにつれそれが逆転し、帰国への恐れが強くなった。現実と向き合うことを先延ばしにする。その沈没はで協力隊員にとってぬるま湯であり、社会復帰の潮時を失う脅威でもある。

奥に見えるのが、任地の海に沈没している船

沈没とは、船などが水中に沈む本来の意味の他に、酔ったり眠ったりして正体を失うこと、遊びほうけて遊郭などに泊まり込むこと、また、酔いつぶれて動けなること、と辞書にある。
ぼくは遊郭に泊まり込む甲斐性はないが、幾多の撃沈を経験していることは言うまでもない。だけどもしぶとく浮沈を繰り返している。