2015年12月29日火曜日

ガーナのBraとWhy

ガーナでは用事のある側でも「ブラ(bra=英語でcome)」こっちに来いと手招きをする。
日本であったら自分で出向くべきだろうと思ってしまうのだけど、必ず呼ぶのだ。
これが国ごとの違いの一つなのだろう。

人伝いに「向こうで誰々が呼んでるぞ」と呼ばれたりすることも多い。
疲れていたり暑かったりすると、10mの距離でも往復するのが億劫な時がある。
その大抵が大した用事でないから余計に参ってしまう。

実際は面倒くさいなあと思いながら、表明上はいい顔をして体力、気力ともにガーナとガーナの人によって奪われている。

写真を撮る時は呼ぶことはしない
位置を変えるために動いてもらうことはあるけど
この写真を撮って以来、彼女を見かけたことはまだない

それ以上に困るのが、ガーナの人との会話の中に頻繁にWhy?が出てくることだ。
「なぜ?」と聞かれても答えようがないケースが多いからである。

ぼくは、これから数え切れないほどの「Why?」を感じて時にはそれを投げかけ、一方で、それを上回る相手からの「Why?」に責められながら活動していくはずだ。

任地に向かう途中で
何?何で?誰?といった表情。


Why?にまつわる出来事があった。

同僚となるカウンターパート(以下同僚Fと称す)と共にお葬式に参列した際に、彼にカメラを貸した。


式にはFの車で向かったのだが、車にはFの知人という女性(以下A女史と称す)も同乗していた。

式の最中ミラーレスのカメラを使っている若者がいるなあ、とのんきでいたらそれはぼくのカメラだった。

まずA女史がカメラを手にしているのは見ていたので、その若者がA女史からカメラを借りたのだろう。

例のお葬式にて
ガーナと日本のお葬式の一番の違いは、歌ったり踊ったりとにかく賑やかだということ
一説によると、故人を寂しくさせないためという



この若者は首都アクラに住む学生で、この地を訪れたのが初めてだと話す。
グラフィックデザインを学んでいて、写真にも興味があるようだった。
式に参加したのは故人の親戚の男性(以下Pと称す)と知り合いだからということだった。
そして、今晩はA女史の家に泊まると話していた。
A女史と、若者とはどういった関係なのだろうか。

この時点で、人同士の関係が全く飲み込めず、Why?にとどまらず、ぼくの頭の中では全ての疑問詞を並べても追いつかないほどの???がぐるぐる回っていたが、あえて問うことはしなかった。

帰り際に、若者にカメラを返してもらおうと催促した。
彼はデータをコピーしたいと言うので、メモリーカードを渡すとタクシーに乗って颯爽とその場を去った。
その瞬間またしても???と共に、すごく嫌な予感が胸をよぎった。

ぼくは若者の連絡先を聞いておかなかったので、メモリーカードを持ち逃げされるのではないかと疑ってしまったのだ。
しかし、彼がその気ならばメモリーカードどころかカメラごと持って式から逃げることができたはずだ。
それをしなかったのだからという、自分の考えが彼を信用するに至った。

メモリーカードの一枚などさしたる被害ではない。
だけれども、もし若者にその魂胆があったのならば、被害としてはあまりにうかつで、うかつさを認めたくなかった。
ただ、週明けには同僚Fにもデータを渡す約束をしていたこともあり、何としてもメモリーカードを取り返したかった。



式のクライマックス
棺桶を乗せた霊柩車をバンドの演奏とダンスで送り出す



次の日、若者を発見するか、連絡先をつかもうと朝から町を歩いて捜査を開始した。
早々に、以前宿泊していたゲストハウスの管理人とすれ違った。
ゲストハウスと故人宅はほど近いために、何かの手がかりが得られるかもしれなかった。

刑事の如く、管理人に若者とPの写真を見せると、Pとは面識があると話す。
一緒に故人宅を訪れ、Pの所在を尋ねると教会に出かけているとの情報を得た。

教会に着くとホームステイ先の息子がいたので、Pを呼んでもらった。

Pの話ではメモリーカードはA女史に渡っているはずだから、Fから渡されるよぅ。
とのことだった。

ぼくはツメが甘いかもしれないが、この時点で若者の連絡先を聞くことはしないで、捜査を打ち切った。

そして、月曜日に同僚Fからメモリーカードが無事戻った、という次第である。


しかし、本題はでそのメモリーカードからはデータが消えていた。
多分、若者はコピーとカットを間違えてメモリーカード内のデータを消去してしまったのだろう。
データを渡す約束をしていたFに話すと「Why?」とかなり不機嫌そうだった。

データを消したのはその若者なのだから、ぼくでは答えようがない。

その夜、データリカバリーソフトを使うとあっけなくデータは復旧し、データを同僚Fに渡すことができた。

人は一体いつから他人を疑うようになるのだろう


ぼくはガーナに来てから、必要以上の警戒と緊張の中で生活をしてきた。
それにこしたことはないけど、若者を疑った自分をいたく恥じたことで、時には人を疑わず信用することも大事なのではないかと感じている。

なあt、普段からいろいろな人と風通しを良くしておくことが、自分の身を守ったり助けられるということも実感した。

ガーナはそれができる国なのかもしれない。

この前も、街中でサングラスを落としたのに気付かずにいると、女の人が拾って渡してくれたことがあった。


その塩梅はすごく難しい。
大丈夫どうかの境界線は現地に溶け込むことで、自ら学び取るしかないのかと考えている。


ガーナではよく子供がタイヤを転がして遊んでいる
日本の子どもも車輪のついた乗り物が好きだから、それと一緒なのだろう
だけども、飽きもせずとても楽しそうにコロコロとタイヤを転がしている姿はとても微笑ましい


これも遊び道具だと思う
他には子どもが、細長い棒を持って歩いていることが多い
先生がムチを持っている影響か、わらしべ長者を狙っているのか、何か武器になりそうなものを手にする習性なのだとうか
でも、日本の子どもでも棒を拾って持っていることがあるから、ガーナならではというものではない

余談になるけど今朝、Fに日本語のあいさつを教えた際に「Why?」→「なんで」も付け加えておいた。