2015年11月5日木曜日

青年海外協力隊の応募書類を振り返って~コミュニティ開発編~合格への道~その2

25年度秋募集の2次合格発表が2月に行われ、4月から26年度春募集が始まった。

説明会にも何回も出かけ、都道府県の協力隊を育てる会というのにも参加した。
そこでいろいろな人から話を聞いたのだが、コミュニティ開発を避けるように進言した人がいた。
その人曰く、コミュニティ開発は協力隊の中でも花形だ。そこで選ばれるのは若くてきれいな女性で、そういう子がアフリカで孤立奮闘している姿が、協力隊の格好の宣伝材料となる。

そう言われたところで、既に応募書類も進めていた上に、他に合格できそうな職種も見当たらなかった。

前回はコミュニティ開発か青少年活動で迷っていた。
青少年活動で不合格になったこともあり、社会人経験が活かせるのではないかと考え、コミュニティ開発で応募することに決めた。



※写真は内容と関係ありません
今回の写真もラオスから
ドライブインにいた女の子
ラオスでは多くの子が家の手伝いをしたり、お使いに行ったり、物を売っていたりする



1.以下について、ご自身の考えを記述してください

(1)ボランティア活動に参加する動機 抱負について記述してください

渡航を重ねる度、途上国と人々に惹かれていった。多くの人が笑顔と親切で受け入れてくれ、現地でしばしの交流を楽しみ、帰国後は文通と昨今はSNSでも交流が続いた。次第に、自身の存在価値と、かけがいのないものをもたらせてくれた人々に感謝しながら、今まで出会った人達のみならず、世界規模で人々に恩返しをしたい想いが増していった。草の根の交流を、自らの手で築いた自負もある。途上国の歴史や文化を尊重し、住民として地域に根を下ろし、近隣や人々が抱える問題に真摯な気持ちで向き合い尽力する。現地の人々と一緒に汗を流し知恵を絞り、楽しいこと辛いことを分かち合い、深い長い関係を築けるような活動をして行く。私が積極的に活動する姿を見てもらうことで、人々の気持ちを奮い立たせ、自発や自立を促す。その為に、今まで培ってきた、経験や知識や能力そして情熱の全てを還元する。それこそが全てへの恩返しになるのではないか。協力隊の応募への年齢制限も近づいていることもあり、躊躇よりも新たな道を切り拓くことへの意欲と希望を大きく抱いている。


(2)ご自身が考えるボランティア活動の意義 目的を記述してください

思い出を共有できればと、旅先で人々の写真を撮影、その場で現像し、日本語のサインを入れてプレゼントしてきた。そのやり取りは相手も面白がってくれ、私は深い充実感と満足感を覚えた。現在は、日本語と学校の勉強を指導する2つのボランティアに参加している。普段の生活では接点のない人々と交りながら、資格も経験もない分、自分に何ができるかを考えている。ニーズに応えられるよう、教えて学んでゆくその活動を楽しんでいる。ボランティアの意義は、利益や損得でなく、相手のことを考え行動し、誰もが人を喜ばす存在になり得ること。自身が必要とされることを感じながら、人の喜びを自分の喜びにつなげられる部分にある。目的は、人同士の関わりを大切に、上からの立場でなく友達や知人の感覚で人や世の役に立つ。そして、それを受けた側に何かできることをしたい気持が生じ、行いが循環すれば世の中がきっと良くなるはず。それを皆が感じて実践してゆくことにある。


2.選択した職種に関して、次の(1)~(4)の項目について具体的に記述してください。

(1)この職種を選択した理由

社会経験をベースに、学生時の専攻、実務、ボランティア、旅行や趣味に至るまで半生を総括し、最も貢献できる職種と考えた。社会年数と年齢を重ねた分、人と接したりの人生経験や考えが役立つ機会が多いはず。決まった内容だけでなく、幅広い活動を行える応用力がある。人と人の間に入り、個人や機関を繋ぐパイプの役割も務めることができる。モットーは、地域の一員として老若男女多くの人と関わる。無駄に見える活動であっても、地域と人々の為になると考え、そして、いつか実を結ぶことを信じてチャレンジを続ける。皆で活動を楽しみ、お互いの心に大きなものを残せる二年間と、人の心に残る隊員を目指す。自身の人生においても、最高の期間にできるよう、悔いを残さず全力で取り組む。その理想とする形態で活動できるのが、コミュニティ開発だと考える。尚、希望は現職を中心に、適性と興味の中から選んでいるが、決定した国と要請を問わず参加する。


(2)この職種に対するご自身の経験実務等、技術適合性セールスポイントを具体的に挙げ記述して下さい。その際、ご自身の選んだ要請内容に対しての技術適合性についても触れてください

製造業にて機械部品の検査が主な業務。「5S」(整理、整頓、清掃、清潔、躾)と「改善」の概念は殆どの要請に活かせる。状況により「3S」(整理整頓清掃)から始める。机の上や書類の整理、作業台の高さの見直し、コンピューターの配線、共有のツールや備品などの整理整頓を行うだけでも、仕事の能率を上げることができる。検査業務では不具合、即ちイレギュラーが常で、トラブルとその対処に慣れており、業務内のPDCAサイクルは他の場合へ応用可。納期厳守が殆どの為、作業への集中力、緊張感、突発事項への臨機応変な対応、仕事への責任感も備わっている。径0.2mmの穴にピンを通し金属バリの確認を行う等、細かい作業は得意で目も良く手を動かすのも早い方である。袋や箱詰め包装に関しても、早く綺麗に、無駄が少なく行える。管理業務の経験もあり、他部署や取引先との連絡や業務調整を行う。WORD、EXCELを中心に業務でのパソコン操作も支障なく行える上、一般的な業務処理能力も有している。現勤務先はアクセサリーの製造販売も手がけ、第一希望のコロンビアでの一村一品運動では、品質の向上と安定により、高付加価値化と顧客の信頼に向けた活動ができる。前職では調査、取材に従事。未知の地域で、初対面の一般人の方に飛び込みで話を聞く経験が多かったので、物怖じせず現地の方々から話を聞きだす姿勢とその能力。協力隊参加にあたり、聞き取りや会議などの為にファシリテーションを勉強中。人物や事項を客観視し見極める必要性があったので、そこでの観察眼や洞察力を日常の人物観察に活かし、不要な人間関係のトラブルの回避、人事の采配等に役立てる。並びに、常に想定外の事項の発生が念頭にあり、先々を予測、行動を決断する必要にも迫られた。現地では危険を察知する力、とっさの判断が求められる事態が多発するはず。過去の経験を教訓に、ハプニングに臆することなく冷静かつ慎重な判断を下し、適切な処置をとりたい。また地方の歴史や企業等の調査も多く、ネット全盛の現代でも、人の生の声や文献、郷土に残る資料等の多岐にわたる情報収取、得た情報を鵜呑みにせず咀嚼する重要性を認識済。両勤務先を経て、徹夜や長時間の労働、不規則な勤務時間と、不定休などの環境にも打ち勝つことのできる精神、肉体、ストレスへの耐性も得ている。大学では哲学と宗教を専攻、古代インド宗教と仏教を中心に、キリスト教やイスラム教も概論で学んでおり、宗教への偏見は少ない。信仰の薄い国においても、歴史や背景も含めた文化や価値観や生活を尊重している。私生活では、20年近く一人暮らしで自炊を行い、男性にしては家事をこなす方だ。料理も好きで旅先でも市場に並んだ食材を見て創作意欲が高まることもある。希望地の一つ、エチオピアでは米調理のレパートリーを紹介可能。食生活を主に健康に留意しており、食文化や栄養学等、食の重要性を伝えることも可能。スポーツと社会人経験で身に着けた一般常識、礼儀、マナー等、日本の常識は世界の非常識を承知しつつ、貴機構のスタッフ、派遣国での同僚ボランティア、現地在留邦人の方々と接する際、子どもの指導や躾を行う際にもスムーズな行動を取ることができる。


(3)この要請に携わる際に想定されるご自身の弱点を記述してください

ものづくりの職場ではあるが、売る側の経験がないこと。第一希望のコロンビア他、一村一品運動は独学で学んでいるものの、一層の学習を要する。並びにマーケティングや販売の知識も身に付ける。訓練や派遣先で同僚や他のボランティアの方からも吸収する姿勢だ。そこでは自分だけが知識を得るのでなく、皆で共有できる財産とすべくセミナー等を催したい。時と場合により、できることは任せて、サポートとして割り振りや連携に努めるのも業務の一環。加えて開発学にも疎い為、自己学習を継続し、同上の要領で補ってゆく。一村一品の元祖も実践で学んだことが多々あったように、知識や経験がない分、既成概念にとらわれない行動がとれるのは強み。現地に合わせた適正技術を基本に、皆と足並みを揃えて、理論と実践を試行錯誤する中で、自らの考えと行動を確立させたい。


(4)自己PR(希望した職種に関係する経験以外で特筆すべき経験を記述してください)

大病、大怪我、入院の経験がなく、普段から健康管理に気を遣い、体調を崩すことも殆どない。偏食や途上国でも食べられなかったものはなく、水あたりもしない方である。渡航経験は2ヵ月半インド、ネパール、タイの3カ国を周ったのを初めに余10カ国、昨年夏にはベトナム、ラオス。海外経験が豊富な部類ではないが、無茶をしない等の危機管理も身についている。昨年の5月まで7年間程スポーツクラブに通い、中高生時代は運動部に所属、自転車で20キロ程度の距離を走ることもある。以上の経験から、人並み以上に過酷な状況への適性、体力は備わっており、大概の派遣先に適応できる。学生時代は軽音楽部に所属し、バンドでドラムを演奏していた。派遣先でも音楽を通し、文化の理解と交流に役立てたい。過去にはオフロードタイプのオートバイを所有し、運転していた時期もある。自転車、単車共にある程度のメンテナンスは行えるので、活動上必要のある要請にも対応できる。


3帰国ボランティアの体験談や報告書等で心に残るエピソードや、ご自身が実際の活動に取り入れたいと思うアイデアなどを記述して下さい

現地語でコミュニケーションが取れるまで、一年以上を要したと話す経験者も多い。私にとっても目下の課題は語学力を磨くことになる。勿論、言葉が全てではないが、生活も含めた活動の中で、重要かつ難関となるツールである。要請が決定した時点から、前もって現地語の学習に勤しむつもりである。任地では、日本料理の中で人気が高かったと云う手巻き寿司を、衛生上可能な地域であれば、参加型イベントとして披露したい。また、多々混同されることのある、中国との違いを説明しながら、正しい日本文化を伝え、アニメも含めて映画の上映会も開催したい。折り紙は、前回青少年活動の試験対策で練習をしたが、レパートリーを増やしたい。日本語も機会があれば教えたいが、現在活動中のボランティアでは個別指導がメインなので、集団指導の際には対策と準備が必要。


4実際に派遣された場合どのようなボランティア活動を行うのか活動内容、日常生活を含めて具体的に記述して下さい

お世話になる側として、謙虚に接する。住民と同じものを食べて飲んで買う等、同目線の生活により文化や価値観、気質を理解し地域に溶け込む。近隣を見て歩き観察し、住民のニーズや問題を、よそ者ならではの新たな目線で発見し、活動に取り込む。撮影に対して抵抗のない地域や人々であれば、写真によってコミュニケーションを図り、配属先等でポートレートや、写真入の身分証等を製作予定。現地の人と仲良くなるのは得意なので、業務の範囲内では関わらない層とも日常的に会話を交わし、意見を拾い上げる。地域と住民全体の活動として、多くの人が興味を持ち、参加してもらいたいので、女性や若者、高齢者も参加できる会合を頻繁に催す。内容は意見交換の場や講習や研修といった実務に関わるものから、趣味の範囲に及ぶものまで広げる。国際子どもセンターでのボランティア経験を活かし、子ども達の良き遊び相手、時には何かを教える父や兄のような存在でありたい。文化や個人を通じて日本と日本人を知り、興味を持つことをきっかけに、世界に目を向けることができる人物を育んで行く。


5帰国後、参加経験をどのように活かしたいか、記述して下さい

現地で学んだ語学の学習を継続させ、活動期間中に知り合った人達を含め、派遣国とその国の人達と関わりを続ける。初めは個人レベルからでも交流を重ね、ゆくゆくはお互いの国の架け橋となる活動につなげたい。活動の経験談や現地で撮影した写真を披露する機会を得て、ボランティア活動も含めて日本人に海外に行くこと、人と触れ合う素晴らしさを伝えて行きたい。私が協力隊に参加するにあたり、応募段階でありながらも多くの方のお世話になった。次は私が隊員の輩出に一役買うことがしたい。現職参加の可能性も残し、帰国後はコミュニケーション、企画、調整、人々のまとめや会議等、活動で得た能力や経験を職場でも発揮したい。また日本語教育能力検定試験を受験し、教える側として正しい日本語を身に着けること、国際交流と協力の入り口として役立てる。


バンビェンにて
ラオスの伝統的な巻きスカートをはいた子
リヤカーにバナナを乗せて運んでいる


職種別回答

1 派遣国の社会的文化的な特色(概観)

コロンビア共和国は、反政府ゲリラ、コカインカルテルに代表される麻薬組織、右翼準軍事組織の激しい活動により治安は深刻な状態に陥っていた。政府はゲリラに対し和平交渉を進め、カルテルを解体し、事態は一応の終焉を見せ、現在では国全体が緊張感に包まれている状況ではなくなった。しかし内戦による国内避難民、殺人や誘拐、世界一のコカ栽培とコカイン製造がゲリラ残党の資金源になる等、国が抱える問題の根本的な解決には至っていない。産業に関しては日本に対しての主力輸出品であるコーヒーを始め、切り花やバナナといった農業が主であったが、現在では石油、石炭、ニッケル、金などの鉱工業にシフトし、治安の改善により観光地としても誘客に力を入れている。ここ数年4%以上と安定した経済成長率を見せるも失業率と貧困率が高く貧富の差が激しい。公用語はスペイン語、信教の自由は保障されているが国民の90%程度がカトリックを信仰している。


2 住民との話し合いの結果、合意した活動(仮定)のテーマ

一村一品運動での、特産品と観光名所での地域の活性化。住民の仕事や郷土への誇りと愛を
根付ける。


3 活動の目的

物と観光による、まち興しと人づくり。参加団体内でも、実験的で活性化したグループを目指す。若者の参加を歓迎し、地元での雇用の創出も織り込みながら、都市への人口流出を食い止める。参加者や住民の興味、モチベーション、自信の向上、そして皆が参加しやすいプログラムを計画、実施する。住民主体の運動として継続、発展できるように、これからを担う人材を育成する土壌を開拓する。


4 活動の内容(特色やねらいを含む)

案件が既に進行中なので、同運動が軌道に乗るように骨となる部分を支え、肉付けを行う。他団体とも連絡を密にとり、会合の機会を多く設け、共存共栄の発想で同運動の底上げを図る。現在は国家レベルの運動として進められているが、地域と住民を中心にスライドできるように、住民同士の話し合いで物事を決定したり、実践の機会を多く設ける。また、様々なイベントを催し、行動力と自主自活の意識啓発につなげる。WEBで見た範囲では、当地の銀細工品のクオリティには目を見張るものがあると思う。試みとして、伝統の中に現代的要素を取り入れたデザインや包装等にアイデアを出し、製品の付加価値化を狙う。土産物だけでなく日用品も伝統技術で作る等、工房や生産者ごとの特色や差別化が見えるような工夫を行う。一方、一品集中へのリスクを回避し、町ぐるみで多くの人々が関わることができる運動にしたい為、主製品以外の商品開発や特産品、観光名所等も掘り起こす。ローカルのマーケットにも力を入、主役である住民や一般の人たちでも、手が届く価格帯で質も確保したラインも
立ち上げる。それに伴い住民に見落とされた「埋もれた銘品」を発掘するのも、外国人である我々ならではの仕事である。人材の育成として、現場と配属先の職業訓練校との連携を強化しデュアルシステム的な要素も導入する。観光やマーケティングなどのビジネスを軸に、英語やPCを総合的に学べるクラスの開講。広報誌や報告会等で、活動の進捗状況やニュースがつかめるようにして、既存のクラスでも生徒が同運動を意識しながら訓練に励めるようにする。任地の歴史地区が世界文化遺産となっているが、観光地においては、恩恵を受ける人とそうでない人の収入の格差が生ずるので、そこを是正してゆく対策を練る。これら活動の一切を視認しやすく、さかのぼって確認することができるように、過程や結果に対しての記録を確実に残す。


5 具体的な取り組み

任地のコロニアル調の町並みに合った建物を改装したアンテナショップを開設し、特産品を販売する。活動対象に挙げられている乳製品組合とも連携し、地元産の食材を使った食事やデザート、コロンビアコーヒーを愉しめるコーナーも併設。伝統料理の他、新メニューも考案する。住民も気軽に利用できるような食堂、直売所も設置する。同店に職業訓練校からの研修生を受け入れる。両店は集会所やサロンとしての役割も果たし、活動を住民同士の触れ合いの中で広げたい。商品を日本や諸外国にも紹介し、販売に繋げるルートの確保、国内の店舗への売り込みも行う。但し、良いもの=売れる、とは限らない。デザイン等細部を煮詰め価格面の折り合い等、多方面に働きかけ粘りづよい交渉をしてゆく。重箱の隅を突くようだが任地の団体と活動を紹介するページ内での製品の写真にて、若干の曲がりと余計な背景が映り込んでいるものが見られたのは残念であった。



6 活動を支えるあなたの知識や経験

品質管理の仕事を製品の向上に役立てることができる。言葉がある程度話せるようになれば、配属先の職業訓練校にて、日本のものづくりや、現場を支える品質管理、5Sや改善の紹介を行いたい。旅行会話に毛が生えた程度であるがスペイン語を勉強しており、ゼロから始めるよりはアドバンテージがある。趣味の写真を活かし、商品や学校のパンフレットや広報に使用する写真の撮影、画像処理、及びそのアシスタント的な業務が行える。


7 コミュニティ活動を一言(30字以内)で述べること

地域と人の様々な目的や幸福の為に、住民主導で協力し合う活動


ビエンチャンの少年僧
子どもたちは一度は出家の経験を積むらしい


この書類は、本当に大変だった。
「一村一品運動」や開発学などのサイトや、ロバートチェンバースの参加型開発の本を読みまくった。
第一希望にしたコロンビアの一村一品のページもくまなく目を通した。
文字数の制限があったので削れるところはギリギリまで削ったため、ところどころ文章におかしい所が見られる。
それでも、文章の一字一句まで気を配り、特に職種別の回答に時間がかかった。

また、前回指摘された年齢的なハンデをあえて露呈している。

前回も応募時から興味のあるボランティアがあったものの、応募時必要となるTOEICの受験を優先した。
今回は応募する前からボランティア活動にも参加したのでそこをかなり強調している。

しかし、針小棒大も甚だしい。
コミュニティ開発は要請が多いので、そのどれかに引っかかればとの思いで、何でもできます、何でもやりますと自分をねじ込んでいる感が見える。

さらに、現職参加もできそうになく、その気も毛頭なかったのだが、可能性もあるなどといやらしく触れている。

その一方、何を血迷ったか書類を応募した4月の時点で会社に退職の旨を伝えている。
合格する自信がかなりあったのと、どの隊次でも参加できるように早めに会社に伝えておいた。
そういうところは律儀であるが、合格するためなら何でもするつもりだった。


娘と出かけた際に撮った写真、ではなく、ビエンチャンにて
ラオスで最後に撮ったのが君で良かったよ、なんてさ
異国感が感じられないのは、ぼくの写真の欠点の一つだ


要請は150くらいあり応募者は300人程度だった。
さすがに1次は通過するだろうと思ったし、例の反対した氏も1次はおそらく合格すると言ってくれていた。
ところが、1次で不合格となった。ちなみに1次合格者は200人程度だった。

これにはショックを受けた。
最初は信じられず、不合格理由を担当の先生に尋ねようとさえ思った。
何か別の力が働いているのでは、と意味深なことを言ってくれた人もいた。

選考したのはぼくではないので本当の不合格理由はわからない。
それでも自分なりに分析してみると

できること、今まで実際経験を積んで来たことよりも、これからやりたい内容が多い。
しかも理想論で話が大きい、実現不可能に近いことも平気で言っている。
人の力よりハコもの事業感がある。

質問には何度も「具体的に」と書いてある、よほど他の受験者も漠然とした内容の書類が多いのだろうが、ぼくもその例にもれずに抽象的な部分が多い。

といったところだろうか。


「別の力」というのが実際にあるかわからないが、いざ合格し、訓練を受け、派遣された今では何となく汲んで取れるような気がする。
それは政治的とか金銭の問題でなく、前述のアドバイスをくれた方の意見が理解できる。

青年海外協力隊が、なまじっかの経験や思いでは実現できないと悟った。
だからこそ、憧れはますます強くなった。
会社に退職を撤回する気にもならなかった。

あの文章をまた作成することを思うと気が滅入りそうだったが、次回は合格、不合格にせよ最後の受験にするつもりで、協力隊浪人生活に入るのだった。




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