2016年3月4日金曜日

ぼくの家に泥棒が入ったよ

日本で取材の仕事をしていた頃、自宅が火事で全焼した家庭を訪れたことがあった。
その家の子どもが玄関先で、「ぼくの家、燃えちゃったんだよ!」と、おどけた口調で騒いでいたのを覚えている。

子どもにとっても、突如住処を奪われることが不幸なのは大人と変わらない
ただ、そこから再起が必要であれば、その落胆の度合いは大きく異なってくる。

大人にとっては、これまでの人生、そして今後の人生の一つの指標が住処であり、その家の親たちは、少なくとも経済的な部分においては、過去と未来の多くを失ってしまったはずである。
子どもは、燃えてしまった以上の家をまた建てることができる可能性を大人よりずっと秘めている。
そして、今後の人生に何が起こるか想像もできない子供にとっては、火事で家を失うことですら、大人よりもずっと現実として受け止めることができるのかもしれない。

年齢に関係なく、今までになかったことは突然起こる。それは環境が変わればその確率は格段と高くなる。ただ、今までの人生の起伏を振り返って、その度合いを超えた事態、今までにないことが起こる可能性を想定しづらいだけなのかもしれない。

この国の子どもたちには、夢があるのだろうか、目の前の現実しかないのだろうか



仕事も終わり近くの午後3時過ぎ、アパートの大家から電話が入った。
かなり、興奮して怒っている口調で、近くにいる誰かに代われというような内容だったので、目の前にいたカウンターパートに取り次いだ。

カウンターパートはぼくの住むアパートが破壊され、泥棒が入ったと興奮して怒りながら叫んだ。
急きょ、その日は職場全体で仕事を終了して、ぼくの家に向かった。
帰りの車の中では、落ち着けなかったが、かなりの希望的観測で物事を考えていた。
アパートに泥棒が入ったと言ったが、自分の部屋とは言っていない。もし、部屋に入られたとしても被害は最小限で済んでいるのではないかと、
逆もありで、現金から貴重品、金目のものまでありとあらゆる金品がゴッソリ盗られている最悪の事態も懸念した。
その時は、保険を請求して、一旦、日本に帰国し必要なものを買い揃えようかなと、心配をしながらもぼんやりと楽観的だった。

音楽に合わせて踊って、民家や商店を回って寄付金を募る一味。お金は苦労と工夫で得るものなのだ。

自宅に着くと、野次馬やアパートの住民が集まっていた。
共用の入り口には鉄格子が取り付けられ、南京錠で施錠されていたものの、バールで強引に鍵を開けられていた。
ぼくの部屋の鍵はバールで破壊されており、バックパックと、ファスナー式のトランクのジッパーが破壊され中身を物色されていた。

現金、カメラ、パソコン、スマートフォン目当てで部屋に押し入ったのだろうが、ちょっとした心がけと行いで被害を最小限に食い止めることができ、貴重品が盗まれた形式はなかった。
その対策は、誰にでもできる簡単なことなのだけど、ここで大っぴらに書いてしまうと、そこを狙われる可能性もあるし、ガーナ隊員であれば定時連絡で来たメールに記載してあった内容であるから知っているはずだ。
もし、詳細を知りたいという人がいれば、その全てをお教えしますので気軽に連絡ください。

今回の事件現場の外観、誰でも簡単に建物に近づける上に、木や建てかけの家屋など死角が多いことも災いした



隣の部屋に住む人は、網戸を破って侵入され、ノートパソコンを盗まれていた。
他の住民は、部屋に入られていなかった。
ぼくの部屋の中には職場の同僚がのんきな様子で居座っていて、チョットは心配してくれてもいいのにと思った。
ガーナ人は場を察する感覚と風習に乏しい。
空気が読めないのか読もうとしないのだろうか。日本で空気が読めず、無能で無用であったぼくが言うのだから相当なものだ。
ガーナではぼくが「家に泥棒が入って、驚いているし、ショックも受けている。平常心でいられないし、大変なんだよ。」と言わないと伝わらないだろう。

その晩は安全のために若い衆の一人が、部屋に泊まることになった。

一旦、中に入ることができると後はやりたい放題となる



今回の事件は、ぼくが外国人であることに目を付けていた犯人が、周到な計画たててそれを実行したものと思われる。

きっと犯行に及ぶ以前から、犯人はすっかり金持ちになった気分で、
「あのバカめ、もぬけの殻になった部屋に戻って、間抜け面して部屋で呆然としていることだろうよ、ヘヘ…その頃、オレはすっかり金持ちでモテモテだぜ、姉ちゃん相手にウハウハやるぜ、胸元に札束を突っ込んでやるぜ
(*´Д`)ウヒョ~!」
と皮算用をしていたことだろう。
あぶく銭という言葉があるが、汗水たらして得ていない金がまともな使われ方をしないのは、宝くじで大金を得た人で成功した人を聞かないのと同じ理屈だ。

「やったぜ、部屋の中…お宝ゲットだぜ~…エイ!何だこの荒れ様は?エイ!先客がいたか?何にも盗んで得しそうなモノがないじゃないか?ああ、そうだ、バッグの中に、クソ!鍵をかけてやがる、きっとこの中に、これごと盗んでやれ!しめしめ…ゲーッ!ワイヤーなんかでつなぎやがって!ジッパーを壊して中身を盗んでやれ!ええっと中身は、薬?ティッシュ?え~!?あのバカはこんなものを入れるのに鍵をかけるのか?この部屋には何もないのか?ああどうしよう、誰か戻ってきたら…もういい、他の部屋に入ってやれ。」

と、間抜け面して部屋で呆然としていたことだろう。

ぼくにとっても、全く被害を受けなかったわけではなかった。犯人が破ったバックパックは“pacsafeという、旅人を窃盗などの犯罪から守るというコンセプトの、防犯に力を入れた旅行用品メーカーの代物であった。
素材の裏にはワイヤーがめぐらされ、ナイフなどで切られても大きく穴をあけることはできず、ジッパーもかなり頑丈で簡単にはこじ開けられない構造になっていた。
しかし、そのジッパーと素材の柔らかい布の部分を刃物で破られ、ジッパーを破壊されてしまった。
荷物を窃盗から守るという用途で、旅人の間で名の知られたパックセーフ社のアイテムをいとも簡単に破壊されたのはかなり皮肉なことでもあるが、それを全面的に信用しなかったことも不幸中の幸いである。
パックセーフ社には、この一件を伝え、更なる改良品の開発の奮起を願いたい。
ただ、これはこれで、結構高価だっただけにショックではあるし、それによってそれなりの大きさのリュックがなくなってしまったのにも困っている。やい、犯人、リュック直せ!

引き裂かれたリュックのジッパー。ワイヤーや鍵などしっかりした作りだけどもう使い物にならない


しかし、たまたま目立つ存在である外国人が隣に住んだがために、割に合わない被害を喰った隣の部屋の人には心から同情をしている、彼が身代わりになってしまい申し訳ないとも思う。

今後は、再犯を防ぐために万全の対策をとろうと思う。アパートの防犯委員になったつもりで、死角になりそうな木の枝を切ったり、丈夫な南京錠を探したりしている。ガーナ人は日本人よりもその手の危機意識が低いのでそれを説得するのも大変なことだ。

ほこたてのような話でもあるが、映画「逆噴射家族」で小林克也は自宅を守りたいがために、過剰な対策と心配から精神を病み、自宅を崩壊させてしまう、皮肉に富んだパロディであるが、人の守りたいという考えの核心を突いている。

自分のことばかり考えていては幸せになれない。他人の幸せを願うことが祈りなのだ。


今回の件に関して、周囲のガーナ人はぼくの心と行動のスキが犯行に至らしめたと捉えている。
近所でもカメラをブン回し、一般的に見て社会的に立場の低いような人たちとも懇意にしている姿が面白くないのだろう。
ぼくは、そういった人たちとの関わりこそが青年海外協力隊だと考え、それを実践してきた。

もちろん、それも一因となりえるのは承知しているから、他人を部屋に入れなかったり、家を尋ねられても大体の場所で濁しておいたり、気づく範囲で危険を察し、避けていたつもりだった。

ただ、精神論と心がけよりも、物理的な防犯対策を施した方が有益だろうし、事なかれ主義のガーナの人たちの対応に苛立ちを感じている。

ぼくは地元の人たちに溶け込もうと、良かれと考えた行動を取ってきた。それは地元の人たちのためというよりもぼくがそうしたいからだった。
それがぼくの一方的な思いで、空回りでしかなかったことを知らしめられた。

人の行動や存在が全員から快く思われることなどないし、それを引き金に良からぬことが起きることもあるのは頭では理解している。
それに、強硬手段にでたのはごくごくわずかな外道なのだけども、任地ハーフアシニとその人々、ひいてはガーナの人たちに裏切られた気分だった。

卑劣な手口で人の心を奪う。それが今回の一番の損害になっている。

歌う人生劇場

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