2017年3月8日水曜日

青年海外協力隊の沈没船

昨年の12月から1カ月以上、首都に退避していた。大統領選挙における混乱を避ける名目だったが、選挙と年末が重なり、活動が停滞する中で悶々とするより、任地を離れて、リフレッシュしたい目的も大きかった。その間、協力隊員専用のドミトリーに寝泊まりした。

聖なるマリアよ


これまでの旅においてはドミトリーを好んで利用はしなかった。見ず知らずの人と、寝室を共にすること、持ち物や付き合いで気を使うのが煩わしかった。醸し出されるヒッピー臭や妙な上下関係と連帯感にも馴染みたくなかった。
ただ、今のぼくは、ガーナに来たばかりの隊員に対してであれば、かつて感じた拒否反応を与えるに十分な存在だと思うのだ。

ガーナ 看板 ghana signboard
看板の女性のような人はガーナでは見かけない


1月も半ば近くなると、選挙に関わる動きも終わり、仕事が元に戻る時期が来た。隊員も一人一人と任地に戻った。一方でぼくは、そこに居座り続け、なかなか腰が上がらなかった。何をするでもなく、ダラダラと時間を浪費する。いつまでも留まるわけにいかないとわかっていながら、天気が悪い、体調がすぐれないと理由を付けて出発を先延ばしにする。それを旅行者の世界では「沈没」と呼ばれる。


父なるヨセフよ

ガーナに来て以来、しばらく日本への想いが強かった、モノから解放されるにつれそれが逆転し、帰国への恐れが強くなった。現実と向き合うことを先延ばしにする。その沈没はで協力隊員にとってぬるま湯であり、社会復帰の潮時を失う脅威でもある。

奥に見えるのが、任地の海に沈没している船

沈没とは、船などが水中に沈む本来の意味の他に、酔ったり眠ったりして正体を失うこと、遊びほうけて遊郭などに泊まり込むこと、また、酔いつぶれて動けなること、と辞書にある。
ぼくは遊郭に泊まり込む甲斐性はないが、幾多の撃沈を経験していることは言うまでもない。だけどもしぶとく浮沈を繰り返している。