キューバの夜を照らす街灯や家庭の灯は、とてつもなく儚い。
それは儚く空に瞬く星のようだから、何かを想うのだろう。
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japan overseas cooperation volunteers,photo, travel
2018年4月30日月曜日
2018年4月28日土曜日
キューバ旅行記32 アビィ・ロードの間違い探し〜カマグウェイ
キューバ旅行中、ビートルズをテーマにしたライブバーを何軒か見かけた。
街のいたるところで音楽が流れるこの国で人気があるのは今も昔もダンスミュージックだ。
アビー・ロードの頃のビートルズはきっと好まれないだろう。
背景の写真は、そのジャケットと同一のものではなく、ダブルデッカーが入っていて、メンバーの歩調がバラバラ、そして進行方向が逆である。
アビィロードを逆に渡る…
ビートルズは資本主義に飲み込まれ、自身の手でその問題を打ち破ろうとした。
その結果が娯楽における芸術、大衆のための崇高、という現在の彼らの評価他ならない。
街のいたるところで音楽が流れるこの国で人気があるのは今も昔もダンスミュージックだ。
この頃のビートルズは個々のメンバーの自我や才能が成熟し切って疲弊していた。彼らの持つ富や名声を手に入れることが難しい環境にある無名のキューバの人たちの方が楽しそうだ |
アビー・ロードの頃のビートルズはきっと好まれないだろう。
背景の写真は、そのジャケットと同一のものではなく、ダブルデッカーが入っていて、メンバーの歩調がバラバラ、そして進行方向が逆である。
この頃のキューバで携帯電話を所有している人は少なく、街中の公衆電話を使用する人も多い 彼女もとても楽しそうだ |
アビィロードを逆に渡る…
ビートルズは資本主義に飲み込まれ、自身の手でその問題を打ち破ろうとした。
その結果が娯楽における芸術、大衆のための崇高、という現在の彼らの評価他ならない。
2018年4月25日水曜日
キューバ旅行記31 迷宮都市〜カマグウェイ
2018年4月18日水曜日
アフリカンジャパニーズなキミへ
吐く息は白く、雨はコンクリート濡らし冷気を放っていた。
環状道路、電飾された看板、インチキ牧師のいないバス。
ガーナ生活での生活を経た日本は帰国便の中で観た映画「ブレードランナー2049」の世界に見えた。
好きだった映画の続編だったが、帰国への期待と興奮で集中できなかった。
ただ、主人公の相手役の女優が美しく最後まで観続けた。調べると彼女はキューバの出身らしい。どうりで日本人ではないしガーナ人でもないだろうと思った。Muy linda.
翌日から2日間に渡り研修、賞状の授与、健康診断、面談が行われる。
そこで現実に直面した。
洋服の大半は既に現地で処分し、ガーナ人が着るような服を着て行ったのだが、これが間違いなことに外に出てから気づいた。
東京には珍妙な格好の人がいて、ガーナ服でも問題ないと軽く考えていたがイメージが1年以上のブランクで誇大化していたようだ。日本にいたときは気に留めなかったが、人々の服装に色彩がなかったのだ。
3月でも冬を思わせる寒さによるものなのか、もともと季節を問わず皆が同じ色の服を着ていたのだろうか。
ぼくは目立つことを蛇蝎の如くおそれる。服を脱ぎ捨てたくも、寒さがそれを打ち消したが、理由はもう一つあった。
人類の理想は楽園で暮らすアダムとイブの一糸まとわぬ姿にある。
しかし、聖セバスチャンの殉教を彷彿させた無駄のない私の体躯は、今や醜さ極まりない魔物の住処と化していた。それは私の動きに呼応するかのような不気味な表情を見せ、いつか腹を食い破って出てくる畏怖におののいた。
私にとって現状を公衆の面前に露呈する行為は死に値する恥辱だった。
陶酔者は、己の肉体に魅せられるが為に美麗しその過程に酔う。露出に狂う者は自覚した醜悪であるが故にそれを晒す。両者は一線を画すも逆転の危惧をはらみ、変質者としての人生は十字架と同時に茨を背負う。神は被虐と苦痛までも望み万象を達観したからこそ、加虐と快楽によって堕欲を貪る民にとって聖であるのだ。
余計な気遣いで緊張していたのだろう。健康診断の採血の注射後から鮮血が腕を伝った。院内は同じく帰国後の健康診断目的の協力隊員が大半だった。席を近くした女性数名にウェットティッシュなどを貰い、惨事は防げた。病院で流血して騒ぐ奇妙な風貌な中年と縁を持つことなく活動を満了したささやかな幸運に、彼女らは安堵を覚えたことだろう。
ガーナに於いても帰国間近に傷を負った踵からは出血が続いていた。後日結果を送付されたこの日の健康診断では尿潜血が認められた。
上下緑の柄物のシャツとズボン、寒さを凌ぐためのマサイ族が纏う赤いブランケットと白いパナマ帽はおぞましさを加速度的に助長していた。
市ヶ谷橋沿いの桜は満開になるべく春の温を待ちわびていた。
数年前の桜咲き誇る季節、この場所で協力隊の説明会に参加したのが最初で、隊員の肩書を降ろすのも同所だった。
音なく散る桜の花弁は一筋の流れる血の如く、桜のとりなす輪廻は、嘗てこの地で迸った憂国の士の血潮は私の尿に滲んだのだった。
軍服であれ民族衣装であれ、制服の意義としてその優劣で母集団への帰属意識と誇りの度合いの如何を伴う。扮装に値する纏いにしても、各々の世界では正装であり、滑稽な振舞も人生の終幕に映るが、復活から昇天が舞台であるならばその序幕に過ぎないのである。
街には衣類を扱う店舗があふれている。全身丸着替えも辞さなかったので、臆することなく意気揚々と入店し、いやあ、これはね等と声のオクターブを上げて知ったかぶった様子で買い物をこなす術もあった。
映画であれば美人だが垢抜けないヒロインの周りにはパトロンやスタイリストがいて力になる。同時に自我が芽生え、内外面共に磨かれた故にエンディングを迎える。
男性ならば全裸で降臨し、体型の近い者から衣類を奪う手段もあるが、成功する自信はなかった。逆に本物と遭遇することがあれば、こちらが身ぐるみをはがされる事態が懸念された。
当初は数日の間、都内などを満喫するつもりだったが、一刻も早く休みたくなり、実家に戻ることに決めた。
既に親には無事に帰国したことを伝えていたせいか、再会の感動や歓迎ムードとは程遠かった。
安否の確認ができれば、一刻も早く会いたいという気持ちは薄いように思われた。
再会を待ちわびているだろう、実家は父が単身で暮らしているので食事の面倒を見てあげれば喜ぶだろう。それはこちらの勝手に思い込みで、相手は自分に何も望んでいない、期待していなかった。
こういった思いは多くの隊員が派遣国で味わったのではないか。
スーツケース、PC,カメラが修理、カメラのレンズはお陀仏、スマートフォンは全損扱いで修理不可と診断されたのがアフリカと期間の過酷さを物語る。それは人体に対しても同様だった。任期である2年が近づき、延長期間に突入する辺りからそれを顕著に感じるようになった。
物置化した自室の整理も手間取った。生活できるまで片付けることがメインだが、必要なものだけを残す終活も含んでいた。そんな中、高校の修学旅行のしおりが見つかった。そこにはバスガイドを初め、地元の女性、修学旅行に来ていた他校の生徒の連絡先が至る余白に記されていた。
のはずが何一つ書き込みなどない。消えるボールペンだったのか、あぶり出しで書いてもらったのだろうか。旅先で知り合った女性と云々自体が虚構で、無価値と無意味の残骸は即行で処分した。
日本では政治家、官僚の思惑による愚劣な行為が世間を騒がせている。それは世界全体でも変わず、状況を批判するのは真っ当だ。
ただ、その影に妬みの心情は潜んでいないだろうか。
貴乃花親方は事あるごとに世間を騒がせ、神妙な面持ちと重い口によって自己の責任を否定し、幾ばくかの説得を持たせ同情を得る。そんな存在は我々の周囲に嫌なくらいはびこっている
自身は何の恩恵にもあずかれず「隣りの貴ノ花」からは迷惑を被り続け、いっそ自分が彼であったらと悶々とする。
自身は何の恩恵にもあずかれず「隣りの貴ノ花」からは迷惑を被り続け、いっそ自分が彼であったらと悶々とする。
アメリカの大谷翔平は凡打に倒れ、失点でマウンドを降りる事もある。
しかし、勝利を強いられる彼のような存在が正義と呼ばれる。
しかし、勝利を強いられる彼のような存在が正義と呼ばれる。
昨今の騒ぎからか、大谷選手になってメジャーでプレイする夢を見たが、盗塁失敗でアウトになった。
巷の40歳前後は、仕事では実行部隊と指揮官を兼任する立場となり、プロジェクトのリーダーなどで活躍するなど脂の乗りきる時期なのだろう。
しかし齢40前半の高橋由伸監督采配の巨人軍は最下位に沈み、同じ年齢で現役続行の上原浩治投手は連日の逆転を許し限界がささやかれつつある。
TVに出演する高橋真麻を小保方さんと見間違えた、ブルゾンちえみが渡辺直美に見えた。群雄割拠の甚だしい女優やモデル、タレントは知らない人ばかりだ。もう誰が誰かも分からない、ぼくはいったい誰なのだろう。貴乃花や大谷翔平でも、由伸でも上原でもないことは確かだ。そしてもし高橋真麻か小保方さんか渡辺直美かブルゾンちえみであったなら、今まで女性であったことに気づかない半生を送っていたことになる。そのような人は何と呼ばれるのだろう。
最後まで読んでくれた奇特な方がいたら今後もよろしくお伝え申し上げたい。
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