2020年5月10日日曜日

インスタグラムに見るボーダーレスの世界


インスタグラムを続けること数年
イイねの数も50を下回ることはなくなった
若干の悪戯心が芽生える
セルフィーをアップしたらどれ位の数のいいねが付くだろうか
中年男性の自撮り写真がどこにも需要がないことは心得ている
フォロワーは100人減程度で済むだろうか…

そんな冒険をおかすことない甲斐もあり、フォロワーも順調に増え続ている
とある新規フォロワーのアカウントが非公開で、リクエストを要求するとすぐに公開された
そこには、紛うことなきアフリカ人の撮ったアフリカの写真がアップされていた、それも数枚…

説明不要であるがカメラを持つアフリカ人を日本人が撮った写真

見た瞬間
“なーにー
やっちまったな―“
禍々しい予感しかしなかった
このような写真を非公開にする理由は皆目見当つかなかったが、謎解きよりすぐにするべきことがあった
速攻でブロックを試みたが相手の方が早く、間髪入れる間もなくメッセージが来た
“Hello”
“How are you doing”

通常個別のメッセージというのは用件から入り簡潔な内容のものがほとんどだ
初対面どころか面識のない相手に、元気ですか?どう?など要領を得ないメッセージは、面倒なことになるケースが多い
ぼくのアフリカ在住2年半を有した経験から、予感が的中することを確信した。

適当に受け答えをしていると彼は西アフリカのガンビアという国に住んでいてあなたと友達になりたいお互いもっと知り合いたいと自己紹介を始めた
西アフリカのガーナに住んでいたぼくでもガンビアについてあまり知識がなかったので少し調べてみた
そこで得た少しばかりの知識よりも、同じ西アフリカということで先ほどの確信は絶対という領域まで達した。
それは人間に残された第六感というもので、それこそがギリギリの際自らを守る自己防衛本能でもある

彼はだんだんと自分のプライベートを明かしてきた
18歳で母と祖母、小さな3人の妹と1人の弟がいる
父は漁師であったが事故で亡くなった
その為、高校をドロップアウトし今や森で薪を拾って口に糊するザマだチクショウ


薪を拾って売る人たちなのか、自分たちの生活のためなのか
いずれにせよどんな状況であれやる人はやっている 

加えて兄弟との写真を送ってきた
〇構図
〇ポーズ
〇汚れたレンズのせいか不鮮明かつ眠たい色調
これらの要素を完璧に満たす巷にあふれる正にガーナ人が撮ったガーナ人の写真の完全コピーといってよいほどの出来栄えで、そこには妙に感心した

こういう写真👇ならば良いというわけではないが、ほんの僅かで構わない、人の心をつかむ試みが欲しかった
”アフリカ人のとくに子どもの写真を撮ればアメリカに売れる”
ガーナでさんざん言われ続け、トラウマになっている言葉であるがアフリカにはナショナルジオグラフィック誌をはじめフォトジャーナリズムが存在しないのだろうか

おさないきょうだいの写真1(画像はイメージです)

おさないきょうだいの写真2(画像はイメージです)

当時写真に対してモチベーションを失っていたぼくにとっての最期の閃光ともいうべき一枚
何も考えずに被写体も見ずに撮っているような確実に「雑な」写真ばかりの中
この一枚以上のものは撮れないと感じた大切な一枚
この写真を喜び勇んでお母さんに渡したが「ねえ、前くれたチョコレートまたちょうだい」との対応
だけど、生きるっていうのがここに集約されていると魂を込めて撮ったのは今でも覚えている
ちなみに今回挙げている写真はほとんどがガーナ在住時の前半に撮影した写真ばかり


彼の境遇にはいささかの同情の念を持ちえたが
“それは悲しいですね、ただあなたたちに幸福が訪れるように祈ります”
彼の悲嘆をスルーするような内容を返信した

すると
“何がハッピーだ、俺たちゃ全然ハッピーじゃねえぜ”
と明らかに不機嫌な様子をぶつけてきた
一瞬手前まで友達になりたいと調子よくメールしておきながら、どうしてこうも態度を豹変させるのだろう、苛つきたいのはこちらの方だった
くだ物を売る学生と椅子を売る学生


“国は無能で狂っている
45日もロックダウンさせ俺たちの生活を苦しめやがる
おさないきょうだいたちは飢えで苦しみ泣き叫ぶ
俺は良い
だけれど本当におさないきょうだいたちが苦しむのは見てられねえ
同情してくれとは言わねえ
だけどこの現実を知ってくれ
ウィルスは脅威だ敵だ
人々を飢えと貧困に陥れる
事態はますます深刻化している
これがアフリカだ
毎日朝起きると絶望という言葉が頭をよぎる
2日間何も口にできやしねえ
神はこの世に存在するのだろうか“

もう彼はクラッシュのジョー・ストラマーばりのパンクな物言いだった
こうした恨みや怒りを黒人はラップに乗せて歌ったのだろう

既にぼくにとっての敵は、今この場でメッセージのやり取りをしている彼であり、彼こそが悪質なウィルスだった

漁師の獲った魚は大概が素揚げもしくは燻製にして売られる
地元で旨い魚を食べるにはこういった中間業者の女性たちに交じって直接漁師から買うほかに手はない
いずれにせよどんな状況であれやる人はやっている


敵はついに我慢ならねえと、ついにド直球を投げ込んできた
“ガンビアのオンラインショッピングを使って食料を注文してくれ
そうすれば乗り物で注文した品を配達してくれる”
“頼むブラザー”

ご丁寧に祈りのポーズの絵文字まで入れてきた
祈りのポーズ(写真はイメージです)


ガンビアのネット事情がどうなのかは知らないが、カード情報などを入力する必要はあるだろう、そんな恐ろしいことはできない
先日、日本でもSODという映像制作メーカーが無料動画配信キャンペーンを打ったが、その登録情報が流失したという身の毛もよだつ事件が発生した
危険度で言えば同レベルだろう

そもそもお前誰だよ…一言そう言いたかった
見ず知らずの人間に散々不平不満を述べ、気に入らないと不機嫌になり、とうとう本性を現す
ぼくは世界は一つ人類みなきょうだいという考えがあるのだが、彼ににはきょうだい呼ばわりされたくなかった
おさないきょうだいのことは若干心が痛まないでもないが…

アフリカ人には日本人と中国人の見分けがつかない
それは仕方ない、
しかし、日本人と中国人、考え方や行動は全く異なっている
日本人からしたらガーナ人とガンビア人の見分けはつかないだろう
しかもこの場合に限れば、ガーナ人とガンビア人は見た目のみならず、写真のクオリティ、そして言動までもが見事に一致していた
いやガーナ人以上にガーナテイスト満載だった
そう、少なくとも世界は一つでないかもしれないが西アフリカは一つであった

そんな彼は今でもインスタの世界を徘徊し、救世主が現れることを信じているのだろうか

2019年1月13日日曜日

キューバ旅行記58 ナマイキ少女~ハバナ

向かって左側の女の子、チョット生意気だったのでチョットギャフンと言わせたかったが、何も思いつかない

どうしたら良いか判らなかったのでただ髪の毛をポアポア触るしかなかった

ハバナ旧市街少女
こうして旅は終わりを告げるのです

キューバ旅行記57 チャイナタウンの老師~ハバナ

ハバナの一角にチャイナタウンが存在する
そこには中国料理店があったりで、アジアの味を求める旅行者であれば訪れる価値もあるだろう

キューバハバナチャイナタウン
中国城と称されるチャイナタウンの一角


早朝、剣を用いた武術の型の稽古をしている光景に出くわした

キューバハバナチャイナタウン中国武術
香港の俳優をほうふつとさせる精悍な風貌の老師


入り口で見学を申し出ると快く案内してくれ師範がぼくを生徒に紹介してくれた

「彼は日本からきたゲストです、我々の活動に興味を持ってくれています。お茶(を出してあげてください)」といったことを話すと、生徒から拍手が起こった。

この師範は生徒たちに技術を教えるだけでなく、武術をたしなむものとしての心構えも教える人格をもった人物だった。

陰陽太極女性キューバハバナチャイナタウン
門前にいた女性
着飾ることに余念のないキューバ人女性の中で彼女の身なりが不思議だった

門のところにいた若い女性と話をした
「わたしは、中国や日本の文化に興味があるんです!」
何かを慮って発したわけではない素直な言葉と話し方が嬉しかった。


キューバ旅行記56 往年のアメリカ車たちー~ハバナ

ズラリと並ぶ美しくレストアされた往年のアメリカ車は、観光客のためのタクシーだ

キューバハバナアメリカ車
タクシーの種類によって行ける区域も異なるようだ
乗車料金は日本より少し安い程度、つまりは高い
車両価格も100万円は優に超えるようだ

キューバ旅行記55 混沌のエネルギー~ハバナ

ぼくの旅の基本は都市よりも田舎を好む
田舎の方が人との関りを深め易いからだ

そんな旅を続けてきた

しかし、人々の熱気が混沌の中に渦巻き吐き出されるようなハバナの街も嫌いではない

世界で二つとない強烈な個性を持った街であることは間違いがない

キューバハバナ旧市街アメ車と老人
老人と旧車



キューバハバナ旧市街アメ車
車から吐き出される排気ガスと人々から発せられるエネルギーがハバナの街を構成している

古い建物も車も朽ち果てた美を有している



キューバ旅行記54 都市の寂しさ~ハバナ

ハバナに到着した

今回の旅はキューバの東部の都市オルギンから入った

出国する便がハバナ以外見つからず、ハバナinハバナoutでは効率が悪くなるのでなるべく東側から入れる便を探した

そして、さらに東側のサンティアゴデクーバまで行った後は旅行者が利用する長距離バス(Viazul)を使って、西へ向かいながらできるだけ多くの街に立ち寄る
それがこの旅の数少ないテーマであり計画だった

首都ハバナはゴール地点だった
正直なところ、達成感よりも旅の終焉が心を暗くさせた

トリニダード、シエンフエゴスあたりから首都、都会に近づいている印象を受けたが、やはりハバナはその他の都市をはるかに凌駕する規模だった

他の街であったら、それぞれの地に足跡を残したという自負を持って旅を続けていた
しかしここでは表面をフワフワと浮いているようだった
どこか人々との距離が遠く、懐に入っていけないのだ


そんな打ちひしがれた気分でいると、日の沈んだ街に澄んだ眼をした少女が佇んでいた

キューバハバナ街角の哀愁漂う少女
すでに日は沈みカメラのフォーカスを合わせるのすら難しい状況だった

彼女も物悲しい雰囲気を漂わせていた

ぼくたちはお互いの孤独を共有できたのかもしれない

だけど彼女の美しさはぼくを畏怖させた
それが余計に寂しさの度合いを助長させるのだった

キューバ旅行記53 ゲバラの子~シエンフエゴス

旅が始まってから数日で、制服を着た生徒を見ることがなくなった
長期休暇に入ったようだった


制服姿の小学生がエルネスト・チェ・ゲバラのトレードマークであったベレー帽を被っていた

キューバシエンフエゴスゲバラのベレー帽を被った少女
エルネスト・チェ・ゲバラの愛用したベレー帽と胸元にプレートのようなものが見られる

このような格好をする習慣があるのだろうか
いづれにしても新学期が始まったようだ