町の中心から外れて人の往来もほとんどない元配属先の周辺に、その日は朝から多くの人たちが集まっていた。
催し物か集会かがあるのは察知できたが、同僚に尋ねると犠牲祭のようなものが行われるようだった。
確かに少し離れた場所には一頭の牛がつながれており、生贄になるであろうかわいい子牛は悲しそうな目でぼくを見ていた。
儀式は配属先とも既知の人たちとも全く関係がなかったが、興味があったので見学させてもらうことにした。
会場の設置といった準備は意外にも手際よく進められ、祈りから始まり踊りや歌、御神酒と呼ぶのが適切なのか、強力なアルコールを口に含んだりなどの前戯が行われる中、徐々に儀式めいたものを帯びるようになっていった。
炎天下の中踊る女性、まだ序曲に過ぎない |
最初の生贄は鶏だった。唐辛子を漬け込んだアルコールに鶏の頭を漬けて、動けなくなったところで首を刃物で切り、地面に投げ捨てるような荒っぽいものだったが、鶏は抵抗する間もなく絶命した。
鶏は首筋を切られると放り投げられる |
絶命した鶏 |
それが終わると牛の屠殺となった。
牛は押さえつけられるでなく、足の自由を奪われるなか殺される |
鶏の時とは打って変わり、殺すまでの過程も幾分大掛かりだった。数人の男が牛の首や脚をつないでいるロープを引っ張り、それが余計に牛の興奮を煽った。女性陣はカウベルのような楽器を叩きながら歌っていた。その音楽の盛り上がりが最高潮に達し、鉈を一振りし暴れていた牛の首がはねられた。それはまさに映画「地獄の黙示録」のクライマックスそのもので、さすがにぼくがツルッパゲの大佐の首を落とそうという気にはならなかったが一言“Horror…”とつぶやいたかもしれない。
音楽を奏で歌を歌う女性陣の興奮もMAXに達する |
牛は絶命の瞬間、大きな音を発するという。それは断末魔の叫びなどではなく体内に溜まった空気が外に出て鳴き声のような音になる。というのを何かで読んだことがあったがその通りであった。
牛の首は思いのほか柔らかくあっけなく切断される。ぼくの中ではDoorsのThe Endがリフレインしていた。 |
牛はすぐさま、解体された。それも男たちの仕事だった。知る限りガーナでは動物の革をなめして使用する文化はなく、表面の毛を焼いた後は、革も一緒に食用にされる。
彼の最期の言葉もHorrorだったはずだ |
意外なことに、草が真っ黒に染まるほどの血が流れ、腸からは大量の糞が出ているにもかかわらず、全く不快な臭いを感じなかった。それもそのはずで、牛は完全な菜食主義で青い草しか食べないのだから、血液も綺麗であるし糞も臭わないのだろう。糞は綺麗な緑色をしていた。むしろ痛飲した次の日のぼくのトイレのにおいの方がクサいだろう。ビールを呑んで太らせるという和牛の血や糞はそれなりに臭いのかも知れないが、ぼくのうんちの方がクサいし血もドロドロなはずだ。
胃や腸も中身を出し食用にされる |
牛は肉牛というよりはホルスタインのかなり小型でやせ細ったものだったので食用にする部分は少なかったが、女性たちの手によってその場で芋煮のように大鍋で調理された。軽く下茹でをして、血などを取り除いた後はトマトペーストと固形スープのもとで煮込まれた。その場で食べない分は切り分けられ参列者に振る舞われた。ぼくも要るかと尋ねられたが、めったに牛肉を口にする機会がない地元の人の分け前を奪ってしまう気がして初めは遠慮していた。
驚くほど、肉の部分は少ない、ただ一般的にこの骨の周りは美味とされる部位 |
しかしその日は暑かった。持ってきた水は空になっていた。近くに飲み物を売っているお店はなく喉が渇いていたので、帰ったらビールを呑もうという気になっていた。そうすると牛肉の存在が気になってきた。ぼくも地元では牛肉はもとより肉類全般が高い上に美味しくないので、ほとんど食べない。だがその時は、牛肉をせしめてそれを日本流に煮込んでビールと合わせる図式が成り立っていた。非常に申し訳ない気持ちで、未調理の牛肉を頂戴し、非常に申し訳ない気持ちで場を後にした、しかも儀式の続く中の途中退場であったから余計にである。
今回の儀式の司祭役の女性によって肉が分配される |
頂いた牛肉は、圧力鍋パワーでしぐれ煮にした。あまりのおいしさにもっと分けてもらえばよかったと欲が出た。
贓物も肉も革も一緒に煮込まれる、正直硬くて食べられたものではない |
それにしてもあの儀式は一体、何に対しての犠牲で何に基づいたものなのだろう。ぼくの住んでいる地域住民の多くはキリスト教徒とイスラム教徒だ。しかし、あの儀式はその何れにも属さず、もっと原始的なものに所以を持つはずだ。
だからこそ、男性が狩りを行い、女性がそれを待つプリミーティブな姿がそこにあり、人が本能的なレベルで血に飢えた獣であった名残とも言えると思う。そしてそこに、キリスト教やイスラム教という外部の宗教を受け入れ信仰し、同時に西洋の文化を迎合に近い形で容認せざるを得なかった歴史と現状がありながら、譲ることのできないアフリカ人としてガーナ人としての魂があることも見せられた気がしたのだ。司祭は何度も着替え何度も歌い踊るのだった |
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