2015年5月4日月曜日

キューバ旅行記7永遠に生き続ける写真~サンティアゴ・デ・クーバ

     路地を探索していると、年配の女性から家の中に入らないかといったジェスチャーをされた。
    彼女がぼくに危害を加えたり、面倒なことに巻き込む危険は少ないと思い、薄暗い家の中に入った。

     「私の祖父は中国人です。」そう話すと、古い写真の詰まったアルバムを広げて見せてくれた。
    きっとぼくが東洋人であること、カメラを下げていたことで話をしたかったのだろう。
    部屋には他にも家族の写真が数枚飾られていた。

     キューバ人は写真を大切にする。
    記念の時や家族の集合写真、どんなに貧しそうな家庭でもテレビと写真の飾られていない家はなかった。

     前回キューバを訪れたのが2年半前だった。
    その間に大きく変わったと感じたのがカメラ機能の付いた携帯電話やスマートフォン、中にはデジタルカメラを所持する人が増えてきたということだった。
    しかし、多くの人にとってカメラや写真に触れる機会が日本に比べたら少ないことは間違いない、プライオリティが格段に違うのだ。

     彼女の家に飾られている写真、見せてくれた写真はどれもモノクロで色あせたものも多かった。
    屋内の調度からすると彼女の家庭はかなり貧しているようであった。
    何らか撮影機能の付いた機器を有しているとは思えなかった。
    今は新しく写真を撮ってもらう余裕がないのか、それとも撮影をする機会や行事がないのであろうか・・・

     今の境遇を彼女がどう感じているかはわからない。
    彼女にとってよりどころがあるとすれば何なのだろうか。
    部屋に置かれた十字架、それとも社会主義の恩恵である配給なのだろうか。
    写真の中の人たちは今の彼女よりも楽しく美しく幸せに生きているように見えた。
    他でもない、彼女の写真の輝きが一家の姿を象徴していた。
    あの時代、あの時の写真は華美な思い出として生き続ける。
    一枚一枚が彼女をこの世に存在させえる最も力強い支えのようだった。

     彼女の家にあったものこそが写真なのだ。
    カメラや携帯電話パソコンの中に入った画像は単なるデータに過ぎない。
    一枚の紙に焼き付けられて初めて写真の生命を吹き込まれる。
    宿泊先や食事などを撮影したところでほとんどは記録でしかない。
    それを超えるには撮影者の技術や意志や情熱が必要だ、しかしぼくにその一切は備わっていない。

     ぼくは、この旅行中、命の次に撮影機材を大切にしてきた。それこそ死守してきたといってもいい。
    身の回りの品で最も高価であったが、そのことはあまり関係がなかった。
    撮影枚数が増えるにつれて画像を記録した媒体がそれに加わった。
    カメラ、写真を撮ることそしてそれらを守る行為もたいして意味のないことなのかもしれない、ぼくの撮影した殆どはプリントされることなくハードディスクの中で眠り続ける。

     夕食の時などカメラだけでなくバッグも持たずに外出すると、本当に身も心も軽くなることがある。
    お酒を飲んだり音楽を聴いたりダンスを踊ったり・・・ キューバは写真におさめたいものがあふれている国だが、カメラがなくても、逆に持たないからこそ楽しめる部分も大いにある。
    さらには移動中、重い荷物に必要以上の体力と神経を使い、これさえなければと恨めしく感じたことが幾度もあった。
    しかし、カメラと写真があることで生まれた出会い、取れたコミュニケーションも多く発生した。

     いつもぼくの旅にとってカメラの存在は諸刃の剣だ。
    日本にいる時はいろいろな人の撮ったキューバの写真を見て、その多くに込められたキューバの色、熱、においに魅了された。
    そんな写真が撮りたかったし、撮れると思った。 だけど、彼女とその写真に改めて気づかされたことがある。
    「被写体と、その周りの人に喜んでもらえるような写真を撮ろう。」 
    それこそがぼくの目指す写真なのだ。


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