2018年9月23日日曜日

キューバ旅行記44 似て非なるものの逆は同工異曲で正しいのだろうか〜トリニダード

申し合わせたような格好からして家族なのかもしれない。

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親子?キューバでは結婚、離婚を繰り返すことが少なくないため結果として大家族となることが少なくないらしい。



キューバ旅行記43 聖なるカリブ海〜トリニダード

石畳の敷き詰められたコロニアルな街のトリニダードを南下すると、カリブ海に突き当たる。
冴えた群青色のビーチはどうやら外国人向けのものらしく、濁った色をした入江には多くの家族連れが訪れており海水浴場のような賑わいであった。




日が傾き赤く染まった海に浸る姿はさながら沐浴のようだった。




海の青さは平等でなかったかもしれない。


だがキューバにおいてのカリブ海は、澄んでも濁っても聖なる河であるインド人にとってのガンジスに等しい。


これらは全ての種類を超えた生と性を超えた存在を包み、また飲み込む存在でもあるのだ。

2018年6月1日金曜日

キューバ 旅行記42 旅愁のPolo Montañez〜サンクティスピリタス


通りを歩いていて、家の中から漏れてきた音楽に惹かれ、足を止めていると家主の女性に声をかけられた。

「どうしたの?」少し訝しく思っているようだった。

ぼくは焦ってしまい、思わず「写真をとっても良いですか?」などと間抜けな質問をしてしまったが、彼女はごく自然に撮影を受け入れた。

この曲は何かと聞くと、彼女は答えた「Polo Montañezよ」。
スペルを尋ねると家に入るように勧められた。





キューバで耳にするビートの効いたダンスミュージックばかりに食傷気味だったので、哀愁を帯びたアコースティックなメロディが琴線に触れたのだが、実際、それはステレオの置かれた居間の調度と彼女の雰囲気に似合っていた。

彼女は民宿を経営していて空室があるようで、宿泊場所は決まっているかと訪ねてきた。

すでに宿にはチェックインしていて、しかも1泊だけの予定だった。
だけどなかなか雰囲気のある街で、この宿にも泊まってみたかったが、旅も終盤に差し掛かっていて日程変更は厳しかった。


少しの間であったが色々な話をした。ぼくのスペイン語など拙いしそれほどスムーズに会話ができるとは思わないが、旅をしていて相手の話が理解できてこちらも伝えたいことが不思議に伝わることがあって、この時もそうだった。


残りの旅の期間m訪れた先々でPolo MontañezのCDを探したが、なかなか見付からず諦めかけていたところ、ハバナのCDでようやく1枚入手することができた。

CDを手に入れたことであの街でやり残したものを埋められるような気がした。
















2018年5月31日木曜日

キューバ 旅行記41 石畳のある街〜サンクティスピリタス

街歩きをしていて何か良さそうと思う場所があればそこに行ってみる。
そこには何か面白いことや印象深いこと、その日1日に満足できるようなことがあったりする。

写真を撮りたいと思わせるような被写体との出会いもその一つだ。

それを探して、できるだけあてのない、理由のない旅を続けている。



写真が上手くなれば、世界を魅力的に写せれば、人の心に刺さる写真が撮れれば…

そして彼女の持っているものを引き出せるようになれれば…




キューバ旅行記40 リユース〜サンクティスピリタス

キューバではペットボトルの水が売られているのをあまり見ない。

街ではピッチャーに入ったジュース類がグラス売りされていてそれを飲んでいた。
一般家庭ではコーヒーを出してくれたことも多かった

ペットボトルの空き容器を捨てようとすると、それを女の子が欲しがって缶ジュースを買ってつめ替えていた。
キューバでは缶入りのジュースは高価なものになる
こぼさないようにちょっと緊張している感じが微笑ましい

キューバ旅行記39 キューバン・グラフティ〜サンクティスピリタス

1959年に米国との国交を失ったキューバには、最もアメリカらしい遺産が残された

崩れた車体から黒煙を吐く車にも朽ち果てた美を感じるが、このように綺麗に整備された車も美しい。
地方の中都市ではここまで良い状態のものを目にする機会はまれである
車種はシボレーベルエア
 映画「アメリカン・グラフティ」の舞台は1962年であるが、同年にはビートルズがデビューするなど流行の発信源はイギリスに移行してゆく。

キューバの車窓から
キューバ人にとってのヒーローはいまだにスーパーマンはともかくフラッシュゴードンだったりする。

フラッシュゴードンと言われて反応できる日本人旅行者などそう多くないだろう。
ぼくもこの国の国民と同じく、50年代で時が止まっているのかもしれない。

ただしぼくの場合、西暦でなく昭和50年代である。

2018年5月30日水曜日

キューバ旅行記38 ¿Cómo se llama usted? キューバでのナヲミズム〜サンクティスピリタス

¿Cómo se llama usted?
英語ならばWhat is your name?

旅先でどれほどの人数に名前を尋ねただろうか。

その多くは忘れてしまったのだけれど、彼女の「ナオミ」という名前は今でも覚えている。

キューバ人ナヲミというという少女サンクティスピリタス
「奈緒美」と書くとしっくりくるのが不思議である。
人を幸せにし彼女も幸せになることを祈ったが、この時のミューズでありえたこともまた事実だ。


「痴人の愛」では「ナオミ」に名前だけでなく、ヒロインの風貌にも西洋を見出されている。


ぼくは逆に彼女の名前が日本人のようで、顔立ちもどこか東洋的なものをにおわせていたことで印象に残ったのだろう。


2018年5月14日月曜日

キューバ旅行記37 時間の流れに沿って〜シエゴデアビラ

撮影枚数は多いとも少ないとも言えない方だが、1つの被写体をこれでもかというくらいに撮ることはあって、彼女に対してもそうだった。


写真映えというものもあった。


そして、時間がゆっくり流れるようなのどかな町で邪魔されることもなく、いつまでも何枚でも撮り続けられる気がしたのだ。


彼女の1日はぼくにとってどのくらいの長さに感じられるのだろう。

2018年5月13日日曜日

キューバ旅行記 36 国民的スポーツ〜シエゴデアビラ

最近ではサッカーが台頭しているキューバでも、野球人気は健在で、ほとんど映らないテレビで観戦し、スタンドでは若い女性がキューバ音楽のリズムをバックに踊って応援している。

用具といえばボールかグローブ、バットが揃っているケースは稀で、手作りのボールに棒切れで野球をしている。

ゲバ棒がバット


大人と子供が混じって時には女の子と、本当にこの街では野球をしている姿を見かけた。
喉が渇いたのでこの女の子の家で水を一杯もらった。グラスの水はゴミか微生物か何かがウヨウヨしており、飲むのをはばかられたが、勇を鼓して飲んだ。
冷えていて美味しく、後々も何の不具合も生じなかった。

野球をしていると解説がなければちょっと怖いかもしれない一枚、必死の形相

自己流が大半なので個性的なフォームが多い。
バッターの打球が飛んできたので片手でキャッチし、野球大国日本の面目を保った。

キューバ旅行記35 奇妙な街〜シエゴデアビラ

キュー第3の都市のカマグウェイからするとこのシエゴデアビラは人が少なく閑散としていた。取り立てて目立った建物や目抜き通りがない割に道幅が広くゴーストタウンの様だった。
だけど街を歩けば面白いものに遭遇し、人との出会いがあることをこの旅で経験していたのでがっかりすることはなかった。

この様な乗り物が街を走行できるのも、交通量や人通りがすくないからこそ。
これは街の人の足なのか娯楽なのだろうか


だけど、この街は少し奇妙だった。

2018年4月30日月曜日

キューバ旅行記34 キューバに瞬く星〜カマグウェイ

キューバの夜を照らす街灯や家庭の灯は、とてつもなく儚い。
それは儚く空に瞬く星のようだから、何かを想うのだろう。







2018年4月28日土曜日

キューバ旅行記33 色と光〜カマグウェイ

キューバには色と光が溢れている。
絵になるものを絵にできるようになるのはいつだろうか。




キューバ旅行記32 アビィ・ロードの間違い探し〜カマグウェイ

キューバ旅行中、ビートルズをテーマにしたライブバーを何軒か見かけた。
街のいたるところで音楽が流れるこの国で人気があるのは今も昔もダンスミュージックだ。

この頃のビートルズは個々のメンバーの自我や才能が成熟し切って疲弊していた。彼らの持つ富や名声を手に入れることが難しい環境にある無名のキューバの人たちの方が楽しそうだ

アビー・ロードの頃のビートルズはきっと好まれないだろう。
背景の写真は、そのジャケットと同一のものではなく、ダブルデッカーが入っていて、メンバーの歩調がバラバラ、そして進行方向が逆である。

この頃のキューバで携帯電話を所有している人は少なく、街中の公衆電話を使用する人も多い
彼女もとても楽しそうだ

アビィロードを逆に渡る…
ビートルズは資本主義に飲み込まれ、自身の手でその問題を打ち破ろうとした。
その結果が娯楽における芸術、大衆のための崇高、という現在の彼らの評価他ならない。


2018年4月25日水曜日

キューバ旅行記31 迷宮都市〜カマグウェイ

迷宮に形容されるこの都市は、幅の狭い道に敷かれた石畳が特徴だ


石畳みの狭い道には往年のアメリカ車より旧ソ連で生産されたLADAの方が震動や取り回しの上で利便性は高いだろう
選択肢はあるのかは分からないが


旅人にとって、初めて訪れる街はどこであっても迷宮に入るようなのかも知れないが








2018年4月18日水曜日

アフリカンジャパニーズなキミへ

吐く息は白く、雨はコンクリート濡らし冷気を放っていた。
環状道路、電飾された看板、インチキ牧師のいないバス。
ガーナ生活での生活を経た日本は帰国便の中で観た映画「ブレードランナー2049の世界に見えた
好きだった映画の続編たが、帰国への期待と興奮で集中できなかった。
ただ、主人公の相手役の女優が美し最後まで観続けた。調べると彼女はキューバの出身らしいどうりで日本人ではないしガーナ人でもないだろうと思った。Muy linda.
 

翌日から2日間に渡り研修、賞状の授与、健康診断、面談が行われ
そこで現実に直面した。
洋服の大半は既に現地で処分し、ガーナ人が着るような服を着て行ったのだが、これが間違いなことに外に出てから気づいた
東京には珍妙な格好の人がいて、ガーナ服でも問題ない軽く考えていたがイメージ1年以上のブランクで誇大化していたようだ。日本にいたときは気に留めなかったが、人々の服装に色彩がなかったのだ

3月で冬を思わせる寒さによるものなのか、もともと季節を問わず皆が同じ色の服を着ていたのだろうか。
ぼくは目立つことを蛇蝎の如くおそれる。服を脱ぎ捨てたくも、寒さがそを打ち消したが、理由はもう一つあった。

人類の理想は楽園で暮らすアダムとイブの一糸まとわぬ姿にある
しかし、聖セバスチャンの殉教を彷彿させた無駄のない私の体躯は、今や醜さ極まりない魔の住処と化していた。それは私の動きに呼応するかのような不気味な表情を見せ、いつか腹を食い破って出てくる畏怖におののいた
私にとって現状を公衆の面前に露呈する行為死に値する恥辱だった。

陶酔者は、己の肉体に魅せられるが為に美麗しその過程に酔う。露出に狂う者は自覚した醜悪であるが故にそれを晒す。両者は一線を画すも逆転の危惧をはらみ、変質者としての人生は十字架と同時に茨を背負う神は被虐と苦痛までも望み万象を達観したからこそ、加虐と快楽によって堕欲を貪る民にとって聖であるのだ。

余計な気遣いで緊張していたのだろう。健康診断の採血の注射後から鮮血が腕を伝った。院内は同じく帰国後の健康診断目的の協力隊員が大半だった席を近くした女性数名にウェットティッシュなどをい、惨事は防げた病院で流血して騒ぐ奇妙な風貌な中年と縁を持つことなく活動を満了したささやかな幸運に、彼女らは安堵を覚えたことだろう
ガーナに於いても帰国間近に傷を負った踵から出血が続いていた。後日結果を送付されたこの日の健康診断では尿潜血が認められた

上下緑の柄物のシャツとズボン、寒さを凌ぐためマサイ族が纏う赤いブランケット白いパナマ帽はおぞましさを加速度的に助長していた。

市ヶ谷橋沿いの桜は満開になるべく春の温を待ちわびていた。

数年前の桜咲き誇る季節、この場所で協力隊の説明会に参加したのが最初で、隊員の肩書を降ろすのも同所だった。
音なく散る桜の花弁は一筋の流れる血の如く、桜のとりなす輪廻は、嘗てこの地で迸った憂国の士の血潮は私の尿に滲んだのだった。

軍服であれ民族衣装であれ、制服の意義としてその優劣で母集団への帰属意識と誇りの度合いの如何を伴う。扮装に値する纏いにしても、各々の世界では正装であり、滑稽な振舞も人生の終幕に映るが、復活から昇天が舞台であるならばその序幕に過ぎないのである。


街には衣類を扱う店舗があふれている。全身丸着替えも辞さなかったので、臆することなく意気揚々と入店し、いやあ、これはね等と声のオクターブを上げて知ったかぶった様子で買い物をこなす術もあった。
映画であれば美人だが垢抜けないヒロインの周りにはパトロンやスタイリストがいて力になる。同時に自我が芽生え、内外面共に磨かれた故にエンディングを迎える。
男性ならば全裸で降臨し、体型の近い者から衣類を奪う手段もあるが、成功する自信はなかった。逆に本物と遭遇することがあれば、こちらが身ぐるみをはがされる事態が懸念された





当初は数日の間、都内などを満喫するつもりだったが、一刻も早く休みたくなり、実家に戻ることに決めた。
既に親無事に帰国したことを伝えていたせいか、再会の感動や歓迎ムードとは程遠かった。
安否の確認ができれば、一刻も早く会いたいという気持ちは薄いように思われた。

再会を待ちわびているだろう、実家は父が単身で暮らしているので食事の面倒を見てあげれば喜ぶだろう。それはこちらの勝手に思い込みで、相手は自分に何も望んでいない、期待していなかった。
こういった思いは多くの隊員が派遣国で味わったのではないか



スーツケース、PC,カメラが修理、カメラのレンズはお陀仏、スマートフォンは全損扱いで修理不可と診断されたのがアフリカと期間の過酷を物語る。それは人体に対しても同様だった。任期である2年が近づき、延長期間に突入する辺りからそれを顕著に感じるようになった

物置化した自室の整理も手間取った。生活できるまで片付けることがメインだが、必要なものだけを残す終活も含んでいた。そんな中、高校の修学旅行のしおりが見つかった。そこにはバスガイドを初め、地元の女性、修学旅行に来ていた他校の生徒の連絡先が至る余白に記されていた。

のはずが何一つ書き込みなどない。消えるボールペンだったのか、あぶり出しで書いてもらったのだろうか。旅先で知り合った女性と云々自体が虚構で、無価値と無意味の残骸は即行で処分した。



日本では政治家、官僚の思惑による愚劣な行為が世間を騒がせている。それは世界全体でも変わず、状況を批判するのは真っ当だ。
ただ、その影に妬みの心情は潜んでいないだろうか。

貴乃花親方は事あるごとに世間を騒がせ、神妙な面持ちと重い口によって自己の責任を否定し、幾ばくかの説得を持たせ同情を得る。そんな存在は我々の周囲に嫌なくらいはびこっている
自身は何の恩恵にもあずかれず「隣りの貴ノ花」からは迷惑を被り続け、いっそ自分が彼であったらと悶々とする。

アメリカの大谷翔平は凡打に倒れ、失点でマウンドを降りる事もある。
しかし、勝利を強いられる彼のような存在が正義と呼ばれる。
昨今の騒ぎからか、大谷選手になってメジャーでプレイする夢を見たが、盗塁失敗でアウトになった。


巷の40歳前後は、仕事では実行部隊と指揮官を兼任する立場となり、プロジェクトのリーダーなどで活躍するなど脂の乗りきる時期なのだろう。
しかし齢40前半の高橋由伸監督采配の巨人軍は最下位に沈み、同じ年齢で現役続行の上原浩治投手は連日の逆転を許し限界がささやかれつつある。
TVに出演する高橋真麻を小保方さんと見間違えた、ブルゾンちえみが渡辺直美に見えた。群雄割拠の甚だしい女優やモデル、タレントは知らない人ばかりだ。もう誰が誰かも分からない、ぼくはいったい誰なのだろう。貴乃花や大谷翔平でも、由伸でも上原でもないことは確かだ。そしてもし高橋真麻か小保方さんか渡辺直美かブルゾンちえみであったなら、今まで女性であったことに気づかない半生を送っていたことになる。そのような人は何と呼ばれるのだろう。

何を言いたいのかも分らないが、一つ伝えたいことは、伝えたいことは何もないということだ。
最後まで読んでくれた奇特な方がいたら今後もよろしくお伝え申し上げたい。

2018年1月27日土曜日

バレンタイン特別企画ガーナ産カカオ豆からチョコレートを手作りする~Bean to Bar

以前、ココナッツオイルとココアパウダーでチョコレートを作るワークショップを開催したことがある。
http://sekaihiroshi.blogspot.com/2017/10/blog-post.html

後日、同僚に同等な品を振る舞ったが「オイル臭いし焦げ臭い。(このチョコレートは出来そこないだ。食べられないよ)」と言われた。
正直、匂いは承知してたが、気にならないだろうと少し見くびっていたので意外だった。
同僚達にはお土産でチョコレートを渡すことがあり、舌が肥えてきたのだろう。活動も終盤になり、今までは遠慮していたことを言えるようになったこともある。
ぼくが先日ガーナ食そのものを否定したことに対する腹いせかもしれないが、正直な意見は有難かった。
「一週間待ってください。本当のチョコレートをご用意しますよ。」と見栄を切り、新しいチョコレート作りが始まった。

ココナッツオイルとココアバター(カカオバター)


ココナッツオイルの融点は25℃程度。ガーナの常温では溶けるため要冷蔵で、外に持ち出す時には保冷する必要があった。チョコレート作りに使う場合、量が少ないとマーガリン並みの固さにしかならず、大量に入れるので、匂いの少ないものを選ばないといけない。

フレッシュなカカオの実

カカオから抽出されるココアバターは融点35℃なので常温保存可で、炎天下に晒すなどしなければ問題なく外へ持ち出せる。本当のチョコレートの味を求めるためにもココアバターを探したが、スキンケア用に他の成分が配合されたものしか見つからなかった。

究極のカカオ豆を求めて


カカオ農家にはあるのではと期待し、場所を聞いて尋ねた。だが農家の仕事は収穫、干してから出荷するまでだった。ただそれは覚悟していたので、豆からチョコレートを作ろうと腹を決めた。

天日干しされる収穫されたカカオ

豆の値段はキロ7.5GHS(日本円で300円程度)だった。相場が判らなかったがガーナの物価をしても高いと感じなかった。調べたところ、変動はあるが国際取引価格で1㌧3,000$位だった。大体の換算で1キロ当たり300円強。実際の農家の出荷価格はもっと安いだろうから、図らずしてフェアトレードを行っていたことになる。我ながら持っていると思わせたが、農家からすれば我ながらボッてると思ったかもしれない。しかしこの際、win-winとしたい。
それを2キロ分貰った。秤を使わない丼勘定で心配だったが、自宅で計量すると2.8キロあった。

農家までの地図。これを頼りにノーミスでたどり着いた。今の世の中にはこの地図のように単純明快なものが必要だ

過程と材料、器具


チョコレートは大まかにこの過程を経て作られる

工程
1焙煎(その前に豆を洗浄することもある)
2皮むき
3精錬
4テンパリング
5型入れ、熟成

材料
カカオ豆(今回は150g程度を使用)
砂糖
粉末乳

器具
焙煎するもの(オーブンやフライパンなど)
ミルサーかフードプロセッサー
すり鉢、すりこぎ


焙煎


先ずは焙煎からで、120°130°20分~40分程度炒った。

このごろ温度計が大活躍

焙煎前の豆は酸味を含んだ香りが強いが、次第にコーヒーにも通じた芳香に変化してゆく。

焙煎する装置がないのでフライパンを使用
炒ったカカオ(実はアーモンドとか)


殻剥き


その後、殻を剥く。予想通り手間であったが、炒ったことで剥きやすくなった。胚芽の部分は舌触りに影響するので極力排除した。

これが胚芽


ちょっとした工夫


固い殻には鋏で割れ目を入れ、豆を手に取る皮むき殻を捨てるの一連の作業が効率よく行えるポジションを探った。元々の要請であったKAIZENをガーナで普及できず、自ら実践しているのは皮肉なことだ。

作業の末、理想的なポジショニングを編み出した。ガーナ人も機械や設備がないから仕事が捗らないと嘆くなら、現状を認めてできることをしてほしい


粉砕


殻からカカオニブと呼ばれる中身を取り出し、それを砕いて練ってペーストにする精錬(コンチング)を行う。
殻を剥いてカカオニブを取り出す

ミルサーにかける
プロの業者や工場ではコンチングマシーンと言う機械を使い12時間~70時間練り続け滑らかなペーストに仕上げる。これが手作りと最も差が出る工程になる。
粉砕はミルで行った。コーヒー豆を挽いたような状態から摩擦熱で脂分が溶け出しペースト状に変化したものをカカオマス(チョコレートリキュール)という。

先ずは粉末状になる
脂が溶け出しカカオマスに変化する

ココアバターは人力では作れない


それを圧縮するとココアバターが抽出され、搾りかすを乾燥させたものがココアパウダーになるが、粘土のような状態から油を搾りだすのは圧縮機がないと無理だった。

猫の手も借りたい。餌あげてるんだから仕事手伝え。


精錬(コンチング)


コンチングを家庭用のミルやフードプロセッサーで続けると、カカオマスの粘度でモーターに負荷がかかり焼き切れるので、すり鉢とすりこぎの作業に切り替える。

ひたすら擦り続けるのみ

この作業が最も骨が折れ、いくらゴリゴリやってもカカオの細かい粒が残る。夜も更けたので本日の作業を切り上げた。

翌日に持ち越す


翌朝チョコレートは固まっていた。食べるとざらついてはいるがチョコレートらしくなっている。

見事に固まっている。手が痛くなったので手袋を着用。


トラブル発生


だが湯せんで溶かしている最中、水が混入しボソボソになった。本当にここは注意すべきだ。
再度ミルにかけたりしてペースト状に戻し、滑らかにはなったがザラザラは残っている。諦めて次に移る。

見た目の滑らかさは戻った


ミキシング


砂糖と粉ミルクを混ぜる。カカオの味を確認したかったので、砂糖を20%、ミルクを10%程度に留めた。

粉ミルクと砂糖を控えめに入れてゴリゴリ


テンパリング


砂糖は粒子が粗いと、なかなか溶けずますます食感が悪くなる。事前に細かく擦っておくなどした方が良い。
次はテンパリング。湯せんで50℃まで温め、冷水で27℃まで冷やしてから、30℃まで戻す。
この作業は、砂糖や脂分が浮き出るブルームという現象を防いで、滑らかな口当たりになる。
このテンパったペーストを型に流し込むが、作業者も完全にテンパることうけあい。

直火だと焦げる可能性がある
先ずは50℃
27℃→30℃。温度管理が微妙で写真どころではなかった。

ナッツでごまかす


このまま固めてもボソボソ感が気になると思い、プレーンの他に砕いたピーナツを混ぜたものも作ることにした。

ナッツも炒って皮をむく

ピーナツもゴリゴリ


型入れ


冷蔵庫でなく、常温で3日ほど置くと熟成されるという。市販品の場合1週間ほど寝かすという。

型入れ終了、既に見栄えは悪いが、やっと作業から解放された嬉しさでいっぱいだった


実食


機は熟した。製氷用の型を使ったので、型入れと取り出しに難儀し見栄えはしなかった。これでは、握手会、撮影会で推しメンを前に「これボクの手作りチョコなんですぅ~。食べてくださ~い。グヘグヘ」と臆面もなく差し入れても、即行ゴミ箱行き、インスタにすらアップしてもらえないだろう。

完成品。グヘグヘ、インスタ萎え

さてお味は


云われる通り固まった直後より風味が向上していた。豆の時は直後に強い苦さを感じていたが、炒る、練る、熟成の過程、日数を経るほど、ほのかな苦みがじわじわと余韻として残るマイルドなものに変化していくようだった。
安価なカカオ○○%といったのはただ苦いだけだが、ビターなチョコレートを好み、コーヒーをブラックで飲む人には受けると思う。
食感は意外に固く、ザラつきボソボソは否めないが、これはこれで焼きチョコのようで許せた。ナッツ入りの方はザラついた部分がかなり誤魔化されていた。
1週間経つ頃には食感も気にならなくなってきた(慣れただけか?)しかし、風味も薄れている感じもしたので、熟成は3日前後がベストかもしれない。
パンや菓子に使うのも食感が気にならなくなりそうで、応用できるのは間違いない。