2015年11月3日火曜日

青年海外協力隊に初応募~青少年活動編~合格への道~その1

ぼくは青年海外協力隊へ3度目の応募で合格した。

思い立ったのが平成25年度の秋募集、その夏にベトナムとラオスに旅行に出かけ、バスに揺られながらもしかしたら近々会社を辞めるような気がした。

厳密な理由はわからない、だけど、異国でどこへぞ向かうバスよりも、これからの自分の人生の方が行き先が見えてしまったことに恐怖を感じたからかもしれない。
気の赴いたときに海外に行くことのできる生活が欲しかったのかもしれない。

最初は仕事でもボランティアでも海外に行ける道を模索した。

しかし、一旦協力隊への道を思い立ってしまうとどうしてもなりたいと考えるようになってしまった。
これを経ないと自分の人生が先に進まないような錯覚さえ覚えた。


今回は最初の応募の書類を公開する。
初心を忘れないようにするためと、協力隊を志す人の参考になれば幸いと思ったからだ。

ラオス ルアンパバーンにいた女の子
写真はブログの内容とは直接関係ない
参加を思い立った旅行ということで・・・


職種は青少年活動。


1ボランティア活動に参加する動機 抱負について記述して下さい

海外で働くこと住むこと長期の旅を夢見つつ時間をかすめ取っては旅を繰り返してきた。やがて現地の人と思い出や楽しみを共有したい想いから人にカメラを向け、写真をその場で渡すことを始めた。それをきっかけに文通が始まりそれが今でも続いている相手もいる。旅で学んだことは多く、現地の人との触れ合いや情はかけがいのない経験として心の中に残っている。いつしかそんな国と人達に対して交流を超えて恩返しをするつもりで地域に根を下ろしてより長い期間深く人と関わり役に立ちたいと考えた


2御自身が考えるボランティア活動の意義 目的を記述して下さい

旅先で出会った人達にその場で写真を差し上げたのはプライズと少しだけ特別な日になってくれたらとの思いからだった。そのやり取りはとても楽しく私の気持ちもとても満たされていた。人と人との関わりを大切にし、人が喜ぶものを考えて自発的に無償で提供する。決して上からの立場でなく友達に小さなプレゼントをする感覚。今度はそれを受けた側が小さなことであっても誰でも何かできるという気持ちや行いが循環すれば世の中がきっと良くなるはずということを皆が感じて実践できること。


3この職種を選択した理由


地方部で地域密着型の活動を行いたいのでコミュニティ開発も視野に入れた。根底となるのは子供と触れ合うことが好きで子供ありきの活動を行いたい。具体的な技術や知識よりも生き方や考え方を遊び相手のような立場から身につけてもらうことをモットーにゆくゆくは地域を担う若者を輩出させる土壌を開拓したい。お互いに心の底から楽しいと思えるような活動を行い心に残る隊員になること。子供と過ごすことを最優先し学校や児童センターのような所で現場中心の活動がしたいので青少年活動を選択した


4この職種に対するご自身の経験実務等、技術適合性セールスポイントを具体的に挙げ記述して下さい。その際、ご自身の選んだ要請内容に対しての技術適合性についても触れて下さい

 現在、機械関係の職場で品質管理課に所属し主として機械部品の検査を行っている。志望している職種とは異なるが活かせる部分は大いにある。先ず「5S」と「改善」が挙げられる。例えば職場が不衛生であったら整理整頓を基本としできる範囲で掃除を行い皆が清潔に使えるようにしたい。それにより子供や職場の皆が気持ち良く過ごせ種々の病気などから子供たちを守ることにもつながるはずである。また、庶務や雑務も多く、「何でも屋」的な部分も担っていたので諸処の立ち回りや施設面で危険な箇所や修繕の必要な箇所を発見し、可能であれば自ら直したりする等、何らかの工夫や機転が利かせられる。そこには検査業務という手先の器用さと細かさが求められる点、細かい箇所に目を配る視点が活きてくるはずだ。小さなことでも仕事のしやすい環境を求めて様々な工夫を試み、社内の人でアイデアが豊富な人を見ては自分の中にも取り入れようともしてきた。小さな会社であったが社長はもとより社員の多くがチャレンジする精神を持っており組織が変わってゆく感が目に見えていた。社内に良い空気が流れており仕事こそハードであったがそこに身を於くのはとても心地よかった。その「良い空気」「変える」「変わる」醍醐味を途上国の人に味わってもらい、ものつくりの職場で培った自ら生み出し作ることの楽しさと重要さを伝えられればと思う。更に前職では調査、取材の仕事を行っていたので人の話を聞く力、一体常識とは何かと考え込んでしまう程の世界や人間を見てきたので多様な社会を。社会人経験を通じて得た一般常識、応用力、社交性、過酷な状況に対する耐性もセールスポイントと考えている。


5この職種に携わる際に想定されるご自身の弱点を記述して下さい

実務経験がない故に突如のトラブルやハプニングに対して適切な応対ができるかの懸念がある。他人にも自分にも甘い面があり人に迷惑をかけたりする等問題のある子供に対してはっきり叱ることができるかどうか、またその指導方法。その点は現地で同僚となる人達を見て訊ねて学び同時にコミュニケーションも図る。極力、書物での知識も吸収し理論と実践を試行錯誤しながら理想とする活動につなげたい。


6自己PR(希望した職種に関係する経験以外で特筆すべき経験を記述して下さい)

大病を患ったことがなく、大怪我、入院の経験がなく一年を通じて体調を崩すことも殆どない。また、偏食もなく途上国においても食べられなかったものはなく水あたりもしない方である。渡航経験は2ヵ月半インド、ネパール、タイの3カ国を周ったのを初めに10カ国余り。今年の5月まで7年間程スポーツクラブに通っており、自転車で130キロ程度の距離を走ることもある。以上の経験から人並み以上に過酷な状況への適性、体力は備わっており、おおよその派遣先においても適応できるはずだ。


7帰国ボランティアの体験談や報告書などで心に残るエピソードや、御自身が実際の活動に取り入れたいと思うアイデアなどを記述して下さい

何がしたいかということを大事にし、自分自身が変わることのできるチャンスでもあると言われた時。そして以前とは関係のない職種で活動に参加された方の「必要なのは最後の一歩を踏み出す勇気や熱意」との言葉で私自身の迷いや目の前の霧が晴れた。私は以上の言葉を信じ行動することに決めた。次は私が協力隊参加後に同じことを年齢や経験の面で躊躇している人の背中を押してあげることがしたい。


8実際に派遣された場合どのようなボランティア活動を行うのか活動内容、日常生活を含めて具体的に記述して下さい

派遣先の現状に適した活動が行えるよう状況を把握する。現地の人々にお世話になるつもりで謙虚な姿勢で接し、住民と同じものを食べて飲む等文化や価値観を理解し住民の一人として地域に溶け込む。写真撮影等でコミュニケーションを図り「面白い日本人」と注目されることで住民の活動への興味、参加をねらう。子供達の良き遊び相手となれるように自身の経験や知識、日本の文化や遊びを取り入れることができるような提案、紹介を行う。余暇には楽器演奏、語学、折り紙等を愉しみ活動に反映させたい。


9帰国後参加経験をどのように生かしたいのか記述して下さい

現地で使用した語学の学習を続け、活動期間中に知り合った人達を含め派遣国とその国の人達と関わりを持ち続けたい。初めは個人レベルでも構わないので交流を続けゆくゆくは文化的な面でその国と日本の架け橋となる活動がしたいと考えている。そして、実際の活動の話や現地で撮影した写真を披露する機会を得て、ボランティア活動を含めて日本の人に海外に行くこと、人と触れ合う素晴らしさを伝えて行きたい。


ルアンパバーンの托鉢の風景




職種別回答

青少年活動

1あなたのボランティア体験を記し、それを活動にどのように生かしたいと考えるか述べなさい

問1 海外に自費で行くこと国際協力が可能な環境にあることがどれだけ経済的に恵まれているかを知るだけでも海外へ行く価値はある。それを実感しながら旅の最中現地の人を写真に収めてきた。そして写真をモバイルのプリンターで現像し相手の名前を日本語で書いてプレゼントした。そこには写真を媒体に一緒に遊び、喜びを共有したいとの思いもあった。更には写真を見返すことで行きずりの旅人と出会った時間を思い出してもらえればとの気持ちも含まれていた。
現地の人を撮影する旅行者は多いが、ただのカメラを持った旅行者でなく少しだけ風変わりな旅行者として相手の心に残ったのではないだろうか。そこにこそ仮に目に見える形を残せなくても本当に楽しい期間を過ごして人の心に種を残せる存在になりたいという私の考える協力隊員としての姿がある
私にとってカメラと写真は現地の人達の中に飛び込む勇気を与えてくれる上、言葉を必要としないコミュニケーションツールでもある。しかし、言葉の重要性は現地語が話せることで現地の人とりわけ子供達と仲良くなれることで実感した。それはキューバに旅行会話程度ではあるがスペイン語を覚えて行った時であった。
被写体には子供が多く写真の他に日本から持参したお菓子をあげることも多い。決してねだられたからではなく自発的に。撮影相手には撮らせてもらうという敬意を持ちたかったのでそのお礼の意味もあった。更に自分で選んだお菓子をおいしそうに食べてくれる姿は私自身も嬉しい気持ちになれるのである。「モノ」を渡すというのは良くないという考えもありそこには私も賛同する。ただ、私は生きていれば良いこと面白いことが起こるので希望を持って生きて欲しい、それを自らの手で実証したいが為に何の前触れもないプレゼントをしたいのである。そしてそんな子供達の未来に対して何か手助けがしたいとしたいと考えるようになった。
一つ一つの行為とそして人生を愉しむことを現地の人にも伝えて行きたい。人を楽しませることを考えて行動し相手の喜びは自身の喜びへつながるということを感じながら。地域の青少年の自主性を促しその活動を支援できればそれ以上のものはない。
中には楽しいことばかりでなくつらいこと、悲しいこと、むしろそちらの方が多いかもしれない。そんな時でも共に分かち合うことのできる家族や仲間がいて、皆でそれを乗り越えてお互いに人間的に成長できる。そんな境遇にいることも一つの幸せなのではないだろうか。
そんな私のボランティアと称するに値するか疑わしい体験と持論であるがどこかボランティアの精神は生きているはずだ。草の根の国際交流が楽しくてたまらなく、大げさだが私がこの世に生まれてきた価値を認めてもらえた気持ちになれる。そして人に存在価値を認められることがどれだけ生きがいになるかということも知った。これも活動期間中大事な考えになるはずだ。
私はボランティア及び青少年活動に対して素人である、そのことはハンデではあるがプラスにもなると捉えている。
募集要項を読むと日本での常識が一切通用しないとの旨が書かれていた。もちろん経験に勝る知識はない。専門的な教育による知識かつ十分な活動の経験を有す人も少なくない。しかし知識や経験がないこちらが教えてもらうことも多く分吸収も早く思い切った行動がとれる。現地の人たちと足並みを合わせつつも体当たりをするつもりで汗まみれ泥まみれになって何かをつかみたい。その何かは活動期間中の集大成とも呼べるべきものだろう。
そして関わった人達にこう伝え続けたい。
確かにお金も大事だがもっと本当に大事なものがある。私が日本人という世界でも有数な経済的に恵まれた環境にいる人間だからそう言えるのだと反論もあろうがそれは違うと思う。しかし私自身それに対して明確な答えは出せないままである。私は一生をかけてそれを探し出すつもりだから、みんなにもそれを探して欲しい。


2青少年活動の指導者として必要な資質について具体的に述べなさい

問2 自らの言動に嘘がなく約束を守ることができること。人に優しく接し相手を思いやることができること。自分自身と考えの合わない相手であっても意見や考えを理解し尊重できること。話しやすく相談しやすく意見を言いやすい雰囲気を持ちそれを聞き入れることができること。上からでなく相手と同じ目線を持って相手が悪いことをした時など頭ごなしにしかるのでなく、どうしてそんなことをしたのか相手に聞きこちらもその背景を理解しようという余裕が持てること。きちんとお礼が言い謝ることができること。少しだけほかの人とは変わった観点と自分自身の考えを持っていてそこから自発的な行動ができ、それが俗世間との常識を逸脱していないこと。他人の長所を見つけることができそれを伸ばせるような役割を与えることができること。この人について行きたい一緒にいたいと思わせるような人物的魅力に富むこと。以上を実践しそれを青少年に伝えることができること。


3途上国の青少年を取り巻く諸問題に対してあなたはどのような貢献ができるか具体的に述べなさい

 問3 途上国の子供は義務教育であっても家の手伝いや仕事等その多くは経済的な事情で通学できない問題に直面している。長い目で見れば教育を受けた方が後々の高収入につながる可能性が高いのだが貧困の度合いが高いほど目先の金銭が優先され、現状を打破することは難しい。また教育への無関心さや教育を受けることへの偏見がある地域も存在している。スポーツや情操教育についてはより顕著でないがしろにされやすい。だが教育の問題を含めそれ以上に学校で友達を作ったり勉強したり遊んだりすることは本当に忘れられない思い出になる楽しい場所であるはずだ。国全体の問題を改善するのは難しいが、もし派遣先で同様のケースに立ち会った際には初等・中等教育がいかに一般的な教養や常識を得るために大切な場所であるかを本人と家族に話して学校に来てもらえるように話をしたい。複雑な環境下におかれた子供をえこひいきをするつもりではないがそういった子に対しては特に気を配り自身の存在価値を認めることができるように何をしてあげられるかを考え、希望を持って生きることを伝えたい。
更なる問題として裕福な国の人々が援助してくれるという依存的気質から国や国民が脱却できずそれが青少年にも波及してしまいがちな点が見られる。そこでなされる援助は金や物が主となる。私が現地に赴くことがあっても個人レベルであれば、ある程度の物は与えることができる。しかし私がいなくなった後その物が壊れたりなくなったりした際に一番困るのは他でもないそこに残された人々なのだ。常に助けられるという考えが浸透してしまうとこのような時に何をしたら良いか途方にくれてしまう。だから私は遊びやスポーツの道具がなければ自分で作るという行為を実践し、例えばサッカーのボールやゴールネットなど初めは上手くいかないかも知れないが試行錯誤していくうちに納得のいくものが作りたいと考えている。そこに行き着くまでの過程を通じて「Do it yourself.」の気持ちを持って実践してもらえればと願う。行動にしても同様である、自分で何か行動を起こすだけで何かが変わるはずである。私はそれを知ってもらう為に様々なイベントを開催したい。例えば運動会や文化祭、もっと小さくても良いので音楽の演奏や料理を振舞う程度、懇親会でも良いと思う。普段と異なる行動がとても楽しくやりがいのあることだと気づいて欲しい。トップダウン方式でサークルを形成させてもすぐに形骸化してしまい維持は困難だろう。先ずは自ら手本をみせて私と地域の人々を交えて遊び等の計画を練ることを始めて、少しでも良いから目線を変えるだけで多くのものが見えてくることを伝えたい。後に彼らが率先して地域の問題点について論じ合い良いアイデアを出し合い、活動が活性化し新たなコミュニティを生みだす。ゆくゆくは彼らの手による地域社会が形成されその志を継承した若者達と共に活動を行うことが私の理想である。以上とても難しいことだがチャレンジする価値はある、私はそう信じている。


4 指導経験

割愛


ルアンパバーンの子どもたち


我ながらよく言ったものだ。本当にこんなことできるのかよ。
多書類選考すら通過する自身がなかったので、半ばたたきつけるようなつもりだった。
沢木耕太郎の紀行文が好きだったことも災いして、海外に行く自分、ボランティアに参加する自分に酔っている。
もちろん沢木氏とは感受性や文章力で雲泥の差があるが。

それでも、一般論でもあるがそう間違った考えではないと思っている。

そして、信じられないことに1次選考を合格することができた。
だいたい、要請が60人に対して応募が300人。合格者が100人といったところだった。


いざ、面接となった

面接は人物面接と技術面接の2種類があり、午前中に人物面接が行われた。

志望動機、自身の長所短所
自分の仕事内容と要請に活かせそうな部分

また、ボランティア経験の乏しさを突かれた


午後に技術面接が行われた。

同じく志望動機と、この要請を希望した理由
協力隊に応募するには年齢が高めだが、この時期に道を変えることは思い切ったことではないのか。
という質問に対して、後悔はしたくない。海外の渡航経験が参加の動機でもあるので旅に感謝していて旅に恩返しがしたい。
などとまたしても沢木耕太郎のようなことを口走ってしまった。
答えている途中、あ~何言ってんだろ。と思いながら。

更には、音楽やスポーツの指導経験が皆無に近いのだが、そこはどうする?
とも尋ねられた。
大抵、どうする?という質問はどう答えようもないシチュエーションでなされる。
しどろもどろになりながら、海外で子どもと遊んだ経験から幼い子であれば何とかできると答えた。(しかし実際は幼い子の指導の方が難しいと思う。)

多分落ちるだろうな、との予想通り2次選考を通過することはできなかった。

結果論になるが、旅とボランティアが延長線上にあり、単に海外に行きたいだけのような返答をしてしまったことがマイナスであった。
また、できないことをどうやって克服し、埋めていくかが求められたのではないかと思う。






2015年10月17日土曜日

ガーナ西の果て~ホームステイプログラム

青年海外協力隊として任国に赴任すると、首都アクラにおいてしばらくはオリエンテーション漬けの毎日だった。
内容は、ガーナの国事情や、生活や安全の心構え、今後の生活や活動、連絡事項を日本語、英語を取り混ぜて説明される。

ガーナ隊員は、最初の4日間はホテルに滞在し、その後ドミトリーと呼ばれる隊員が寝泊まりする施設で生活を送った。

ガーナは隊員が多いので団体行動が多く、アクラにアフリカらしさを見出すことが少ないまま、ふわふわしたアフリカのスタートを切ることになった。

それが終わると、約2週間のホームステイプログラムに放り出される。
任地近くの一般家庭に滞在して、現地の言葉を学び、食や生活などに触れようという試みだ。

ホームステイ先から徒歩10分弱で海岸にたどり着く
海の近くで暮らしたことがないぼくにとっては、素晴らしい経験となるだろう


そこに至るまでの交通、宿泊施設まで全て自分で調べて手配するのだが、それは海外が初めてという人や、個人旅行の経験がない人にはいささか酷なのではないかと思う。

また、交通費は支給されるものの、規定額ではなく、領収書を出して後日金額を請求する人もいる。
ぼくは、その場に居合わせることになったのだが、交渉で値段が決まったりすることもあるが、あのごみごみしたバスターミナルで領収書を書いてもらう作業は、ぼくならばストレスを感じていたはずだ。
そのすきに物を盗られたりする可能性だってある。

何だか、批判めいたことを書いて、それをフォローするわけではないが、このホームステイプログラムは実に素晴らしい
これだけでも、協力隊に参加してアフリカに来た価値があると感じるほどであった。


ステイ先のママ。縫製業を営んでいる。
パワフルで頼もしく親切な人情味にあふれた人だ



夕食の準備
ヤム芋とキャッサバをついて「フフ」というガーナ料理を代表する主食を作っている

食感は柔らかい餅のような感じ、味は・・・無味
入浴はバケツ一杯の水で全身を洗って流さねばならない。普段は頭を流すとき、前かがみになってすすいだお湯が体にかからないようにしていたのが、ここでは逆になる。頭を流した水で体も流さないと水が足りなくなる。

トイレは完全な汲み取り式である。
しかも自宅内になく隣の家にあるものを借りて用を足している。
昼間は普通に出入りできるが、夜になると家の門が閉まってしまう。
一度、明け方にどうしても行きたくなったのだが、まず家のママを起こして隣人を起こしてもらい、多くの人に迷惑をかける結果となってしまった。
また、照明もなく、夜に行った際には持参したライトで照らすと悠々とゴキブリが便器内を出入りしている。

この光景のおぞましさと、多くの人の手を煩わす手間にお腹を壊すことはできないと強く肝に銘じた。もしそうなったら本当に困る。そして、今のところは大丈夫だ。

これまでいくつかの途上国で不衛生さや不便さは経験してきた。
しかし、水に困ることはなかった。インドでも自分で流すとはいえ水洗式のトイレだった。

アフリカにおいて水が本当に貴重な資源であることを身をもって実感できた。
そのせいか、お酒を飲んだ次の日でもないのに水がこんなにおいしいと感じたのも初めてかもしれない。

ポンプで水を汲む少女
電気は通っていても水道の通っていない家庭は多い

お金を払えば、快適な生活は手に入れられる。
だけど、このまぎれもないリアルなアフリカの生活は普通じゃ経験できない。

協力隊を志した際、正直なところ、アフリカにはあまり興味がなかった。
だけどぼくが応募した職種では選択の余地がなく仕方がないという気持ちがあった。
それだけに、この機会がなければアフリカに来ることはなかったかもしれない。
そしてホームステイを通じて、はっきりアフリカに来て良かったと言うことができる。

付け加えて、ガーナにはたくさんの子どもがいる。
写真を撮ろうとカメラを構えると、一体どこに潜んでいたのか、撮ってくれとうじゃうじゃとわいてくる。
例えはアレだけど絵本の「はれときどきぶた」がぶただらけだったように、ぶたのかわりに子どもで埋め尽くされるのだ。
そして、色の黒くない人が珍しいせいか「ボウフレ、ボウフレ(白人の意)」と声をかけられる。
そのことに対して今のところ確実に奇異の目に晒されていて、檻に入れられないまでも見世物にされている。
近所の子供たちが握手を求めてきたり、後をついて来るところなどハメルンの笛吹き状態である。

一度、子どもたちを引き連れて海に行こうとしたところ、海近くに住むおじさんがそれを制した。
多分、おじさんはハメルンの笛吹を読んだことがあり、ぼくが子供たちを海に溺れさせてしまうと心配したのかもしれない。

向かいの家に住む女の子
おそらく親戚になるのだと思う
ステイ先は総勢30名以上が出入りしていて誰が本当の家族かわからない
同居人=家族の日本とは異なり、親戚=家族のようなガーナでは概念が異なるように思われる


この街に住む多くの人が、異国から来たぼくに注目してくれている。
協力隊はそこに存在しただけで地域の貢献になる、と言われたことがあった。
果たしてそれは本当だろうか、それだけでいいのだろうか。

異なる人種を見るのが初めてであろう子たちのために何ができるのだろう。
好奇心の塊のようなこの子たちに応えるためには何をしたらいいのだろう。


2晩続けて夜通し大音量で鳴りやまないクレージーなダンスミュージックを背景にしながら・・・

2015年10月11日日曜日

ガーナ上陸

ハセガワセーネンがガーナに到着して2週間近くが過ぎた。
旅行でも出張でも、1か国に2週間も滞在できる機会に恵まれるなんてそうないはずだ。
活動はまだまだこれからなんだけど、ぼくは一体何をしていたのだろうと思えるくらい、内容の薄い時間を過ごしてきた気がしてならない。

日本を発つ前、アフリカの大地に降り立つことがぼくにとってとてつもなく大それたことのように思えていた。いわば畏怖の念を抱いていた。

それが今、ほかの国と変わることなく街を闊歩し、生活をはじめている。何となくそれに違和感を覚えている。

今、民家に宿泊し現地の言葉や文化を学ぶプログラムでお世話になるホームステイ先に向かっている最中だ。
ぼくの任地は首都アクラから遠いのでJICAの規定で途中タコラディという街で1泊している。
タコラディはアクラからバスで5時間程度で到着した。

エアコンなし55セディ(朝食付き)の部屋
ACが付くと70セディに跳ね上がる
今の時期朝晩は涼しいのでエアコンなしでも充分
部屋のは、まあまあきれいな安宿といった程度

昨日、タコラディの街を少し歩いてみたのだが、物や人が所狭しとせめぎ合っていた。
ぼくはこういう雰囲気は結構好きなのでこの光景をカメラに収めたかったのだが、ほとんど撮れなかった。
カメラを盗まれるという心配もあったけど、ただでさえ異なった人種が歩いているだけで異常なほどの注目を浴びる。
そして、カメラを取り出した時の人々の反応、それが怖かった。
ぼくは完全にガーナに負けていた。

それに引き換え、首都アクラのドミトリー近くの線路沿いの雰囲気はのどかだった。
カメラを下げて歩いても多くの人が「写真を撮ってよ」と声をかけてくれる。
ぼくは、今まで写真がきっかけで現地の人々との交流が生まれた経験を何度もしてきて、その思いが高じて青年海外協力隊に参加した。
下校途中の小学生
線路沿いが通学路になっている

ドミトリー近くの線路沿いに住む子供たち

じゃあ帰るかと別れ間際にカメラを向ける。また走って寄ってくるから収集が付かなくなる

ガーナにも当然のように高級車や高級ホテル、高級住宅地が存在する
そしてそれらをきれいに保つためにも彼らのように掃除をしたりする人々が必要なのだ
そしてぼくはこのような人と関わる2年間になるはずだ

はにかみながらも、ポーズを決めてくれた女の子
写真でも仕事でも相手とのコミュニケーションと信頼関係って大事だと思う


ぼくの活動は現地に住むごく普通の人々と過ごす2年間である。
お互いに持つ警戒心があれば、それを少しづつ解きほぐしていけたらと考えている。

近くの教会からは神をたたえる歌が聞こえていた。
空と大地に響くその声にアフリカを感じながらこの文を書いた。




2015年9月23日水曜日

平和構築のために

訓練が修了した。

最後まで忙しかった訓練ではあったけれど、勉強の合間に部屋の窓から、そして授業が終わると建物の外に出ては空を眺めて、今までにないくらい空の写真を撮った。
訓練の修了、この景色との別れが刻一刻と近づいていることを想って心が震えることもあった。ぼんやりとしたり、他のことを考えたりすることもあった。

高村光太郎の智恵子抄でも詠まれている「ほんとの空」
朝に昼に夕に美しかった



同じように英語の授業中、頭の中が空っぽになっていると声をかけられた。
"What are you thinking?"
あわてて答えを作った。
"About world peace..."
世界平和・・・
ぼくはそのためにいったい何ができるのだろう。



ある日、パイ投げの的になりたいと言ったことがあったが、忙しさで忘れてしまっていた。
しかし律儀にも同じ班の人たちが覚えていてくれて、訓練修了近くになって、見事に顔面を狙ってパイを投げつけてきた。

自分にとって何気ない一言であっても、ほかの人にはしっかりと残っていたりすることもあるから、不用意な発言には気を付けた方がいい。


危険を察せない者はこの世では生き延びることができない
動物的な本能で飛んでくるパイをかわしたものの、一部は頭の先に付いてしまった
これが銃弾であったなら、死亡という派遣前のいい教訓でもある

なぜ、パイ投げなのか?
キリストは人々の罪のために磔にされ杭を打たれた。
セバスチャンは全身に矢を浴びた。

ぼくにとってパイ投げの的になることは、自らの罪を拭い、人々の幸せを願って、生贄となり殉教に等しい行為で、それは世界平和に通じると信じていた。

直撃を志願した後
クリームが付いた顔で世界平和を唱えても全く説得力がない


しかし、神聖さのかけらもない神への冒涜にも等しい我が殉教で起こったのは俗的な「笑い」だった。

ぼくは地球規模での平和構築は難しくても、周りの人や狭い地域であればそこに平和をもたらしたり、人々を幸せにしたりすることはできると考えている。
パイ投げと平和構築は遠いようだけど、もしそこに笑いがあれば、それは平和とつながるのだからあながち間違いではなかった気もする。

と思うことで自己犠牲、いや、マゾヒズムに有意性を持たせようとしているのだ。











2015年8月30日日曜日

野外訓練とフジロック

青年海外協力隊二本松訓練所に入所して早7週目が過ぎた。
入所して以来ただただ忙しい日々が続いていて、このブログも更新が滞ってはいる中、久々の更新。

先週8月21日・22日と野外訓練が行われた。
要約すると、数少ない食料や資材を活かして、生きる術や共同生活について考えるといった趣向のイベントである。


グラウンドにテントを張り、そこをベースとして食事の準備などを行う。グラウンドの脇にはには水道がある。
しかし、その水道は使用が禁じられていた。ぼくたちは急な坂道を昇り降りして水を汲みに行くのだ。
ここには当然ながら、ある種の思惟がある。

派遣される途上国では、何Kmもの道を歩いて水を汲みに行く人がいる。
その大変さと、水の貴重さを考えよう。
という旨のはずだ。

確かに、水汲みは大変だった。
しかし、大変なこと、つらいことには人は耐性ができる。
おそらく、毎日水汲みをしている人にとっては大変であっても、それは普通のことであって、問題意識というものは生じていないのではないだろうか。

現地に井戸を設置したはいいがそれが壊れてしまい、また元の場所に水を汲みに行っている。
そんな話を聞かされて、なければないで何とかなるの人々の意識や習慣を変えることは本当に難しいと思う。

かくいう、ぼくでもこの野外訓練、火がつかなければ生で野菜を食べたり、1~日であれば何とかなるの考えで、ほとんど準備や対策らしきものは行わなかった。


しかし、それは想像以上の混沌と混乱を引き起こした。
当日朝から、雲行きが怪しかったが、午後から雨が降り出した。
結構降っていたのでその後の訓練は室内でやるのかな、などと甘い期待をしたものの判断は容赦なく、冷たい雨の中訓練は続行された。

雨は無情にも楽しいキャンプといった趣をそぎ取り、人の体力と気持ちを奪っていった。
人のことを考えてこれから生きていくぼくたちが、どうしても他人をいたわる余裕を失っていたと思う。
普段であれば許せる行動や言動の一つ一つに、棘を感じた。
結局、それが訓練といえばそれまでなのだが、何というか、例えば無人島に漂流して残り僅かな飲料水や食べ物を争うように奪い合う。
しかし、実はそれはゲームで後に事実を聞かされ、我に返った人々は他人の本心を知ってしまう。

それは意地の悪いゲームのようで、今でもぼくはあの日のことで心の中に黒いゴミのようなものが残ってしまっているのだ。


考えすぎても仕方ないし、だけどぼくはあの日のことが、18年前の夏のトラウマがフィードバックしていたこともあるからだと思う。

ロックという名のもと、ノイズというある種逃げの音楽を演っていたぼくらは第一回フジロックフェスティバルを観に行った。
いまでこそ、参加者も主催者も万全の対策を期していて、結構平和な雰囲気が漂っている。

しかし、その第一回は全てが見切り発車で「行けば何とかなる」といったアナーキーな参加者で、かくいうぼくらも「おそらく暴動が起きる、2日目はフリーで入れる。」といった考えで、1日目のチケットだけを握りしめて会場に向かった。

まず、会場に着くまでが困難を極めた。
初対面の人もいる中、待ち合わせが上手くいかず、イライラは相当であった。
 
当日はあいにくの雨で、そして寒かった。
ぼくたちは暖をとるためにウォッカをあおった。
夏の富士山をなめてはいけないのは今も同じである。
しかし、当時はアウトドアとロックはかけ離れていて夏山の恐ろしさを知らないほとんどの参加者は雨、寒さ対策を怠っていた。

会場は早くもメチャメチャに崩壊していて、さまざまなデマが飛び交った。
完全に会場は崩壊していて、地獄絵図のようだった。
そんな中、先も考えず大暴れをしたぼくにとって、そこだけはロックであった。
人のカラダから発せられる汗が蒸気となって空中に発せられていたのが幻想的だった。

一日目が終了した時点で、明日が中止という話を聞いた。
バスの発車会場は、我先を争う人々と、強引に発車したバスにひかれそうになる人々の悲鳴で非常に見苦しかった。
何だかわけのわからない叫び声と怒りの声は、暴動になるというぼくの予想は皮肉な形で的中した。

思えば、野外フェスが根付いている欧米と比較し、参加者側も心身ともに弱い上、DIY精神が欠如している。
主催者も必要最低限の人員や設備の配置、情報の発信しかしていなかった。

完全にこのイベントは失敗であった。
にもかかわらず、あの参加者を完全な人柱として、のうのうとイベントを繰り返している主催者に対して少しだけ恨めしいものを覚えるのだ。

そして、雨だ。
雨と寒さは人の体力と心を容赦なく奪った。
きっと、当日が晴天であれば、あの内容でも人々は多くを許して楽しむことができたのだ。


話は野外訓練に戻るが、ほかの写真を見ると楽しそうに見える写真ばかりである。
どんな状況でも楽しめる余裕があるのか、さほどつらくはなかったのかはわからない。
あれが、何だったのかもはっきりとわからない。

最終日、ぼくは午後から水分を控えていた。
そして、訓練が終わるや否や風呂に駆け込み、町まで降りてビールをあおった。
その風呂の気持ちよさとビールのうまさ・・・
不謹慎ながら、オリエンテーションの山道の最中、ビールのことばかり考えていた。


訓練は遊びではないし、フジロックなどの野外フェスやキャンプなどとも違う。
だけど、どんなことであれ代償は求めても構わないような気がした。

テントに溜まった雨水を生活用水にする哀れな中年男性
本当にわずかな水しか取れていないのが悲壮感を誘う
あまりにも真剣すぎるこの表情はもはや訓練でなく本番である
青年海外協力隊が遊びの延長といった批判もあるが、それを否定できる力をこの写真とこの中年は持っていると思う













2015年7月13日月曜日

青年海外協力隊 二本松訓練所入所

青年海外協力隊 平成27年度2次隊 ガーナ品質管理・生産性向上の隊員候補生として青年海外協力隊二本松訓練所に入所した。

計70日訓練所に泊まり込みで、合宿形式の訓練が行われている。

172名という年齢も出身地も異なる男女が一堂に会しており、いろいろな人と話す機会に恵まれる。
 群馬の片田舎で年老いた両親と暮らしてた身にとっては、この上なく良い刺激になりありがたい。 
そして、いつでもポジティブな発言と行動を心がけたいものだ。

訓練所では、IDカードを常に首から下げるのだけど「品質管理・生産性向上」という長い名前の上、いまいちピンとこない職種のために、たいていの人に「何をするの?」と尋ねられる。

それには、小さい工場などを回って聞き取りを行って、問題点を整理する。その問題点を解決するために5S(整理・整頓・清掃・清潔・清掃・躾)とKAIZEN(改善)を紹介する。 と答えている。

 会話のつなぎであっても、人に多少でも興味を持ってもらうのは嬉しいことだ。

 様々なオリエンテーションや英語の授業など、盛りだくさんの研修が行われており、またの機会に紹介できたらと思う。

二本松市の方々、訓練所の職員の方、同期の隊員候補生の方々。
お世話になります。


1人30秒での自己紹介、自らを見失い血走った目でオダを上げる哀れな中年男性
JICA二本松訓練所のFBのページから写真引用の許可をいただいた
興味のある方はご覧になってください
もっと写真映えしそうな美男美女もいる中、このような写真を掲載して下さったJICAの広報の方に感謝したい

2015年7月6日月曜日

キューバ旅行記29 野球観戦~カマグウェイ

カマグウェイに到着。 キューバ第三の都市ということもあり、バスターミナルでの客引きの勢いなどには都会を感じさせた。 そして、この街にも野球場があり中では試合が行われていた。

観客がほとんどいないこと、選手の着ているユニフォームが統一されておらず、球場内のカフェテリアが閉店していたことなどから、練習試合か草野球といったところだと思う。
エラーの多さが気になるものの、スピード感にあふれていてそれなりに見ごたえがあった。


試合は1-1で9回の表を迎えた。ビジターのチーム(A)の攻撃。
ピッチャーの投球がワンバウンドしキャッチャーが前方にはじいたすきを突いて三塁ランナーがホームインした。

1点差の9回裏、ホームチームののカマグウェイも果敢な走塁を見せ、最後は本塁上でのクロスプレイでアウトとなり2-1で試合は終了した。


 選手たちはオンボロながらも用意されていたバスに乗って、ぼくは歩いて川向こうまで帰った。